夫がダウン症と診断前後でとった行動
── 話が少し戻りますが、旦那さんはダウン症の疑いがあると言われて診断が確定するまで、いかがでしたか?
長谷部さん:夫は何事に対しても冷静な人というか、事実と事実ではないこと(感情や思いなど)を分けて考えるタイプなんです。だからダウン症の可能性があると聞いたときも、私とは全然、受け取り方が違いました。もし、ダウン症だった場合、感情はおいておいて、まずどういう風にどういう風に育てていけばいいか。10年後、20年後までの未来を見据えていましたね。
私が「この先どうやって生きていけばいいんでしょうか…」といった状態だったときに、夫は子どもがダウン症かもしれない場合、どういう情報が必要なのか、日本と海外の違いなども含め、事例を調べて事実だけを集めていたと思います。
また、里帰り出産だったので夫が私の実家に来ていましたが、私が泣きながら毎日を過ごしている間に、夫は慣れない土地で役所に出生届を出しに行くなど、作業を淡々と進めていました。お七夜も、本来は書道を習っていた私が書くべきだと思うんですけど、とてもそれどころではなかったので、夫が頑張って書いてくれました。
── 出産から3か月後、11月に東京に戻られたそうですが、新生活はいかがでしたか?
長谷部さん:夫は有給も使い果たしていたので出勤していましたが、私がまだ現実を受け入れられてないとわかっていたので、気が気じゃなかったと思います。「今日どこ行くの?」「今日何してるの?」と、常に私の様子を気にしてくれていました。
ある日、夫と娘と3人でスーパーに行ったとき。車の中で娘が寝ていたので、夫に車の中で待っていてもらい、私だけスーパーに入ったのですが、混在していてなかなか進まないレジの会計を待つ列に並んでいた私を、心配した夫が必死の形相で私を探しにスーパーに飛び込んできたんです。私は普通に買い物をしているつもりでしたが、夫が私を見つけた時に安堵した様子をみて、私はここまで心配をかけているのかと気づいた瞬間でもありました。
しかしこの年末に夫から衝撃的な言葉を告げられたのです。
PROFILE 長谷部真奈見さん
慶應義塾大学法学部法律学科卒業後、 JPモルガン証券に入社。投資銀行部門にて、M&A(企業の合併・買収)のアドバイザリー業務に携わる。ニューヨーク本社にて勤務中、2001年「9.11世界同時多発テロ事件」に遭遇したことを機にテレビ局へ転職。報道番組の記者兼キャスターを務め、現在はフリーアナウンサーとして活動中。2008年8月に第一子を出産して1児の母。
取材・文/松永怜 写真提供/長谷部真奈見