押しも押されもせぬ人気を博したアイドルデュオ・Winkの相田翔子さん。25歳で突発性難聴を発症し、歌手として苦しい時期も経験しましたが、病を経たからこそさまざまな出会いがあり、次のステップに進めたといいます。
突発性難聴で「聴力は戻らないかも…」歌を諦めかけたときにかけられたひと言
── Wink後期の25歳のとき、突発性難聴を発症しています。
相田さん:歌番組のリハーサルのあと突然、右耳で聞いたこともないような大きな雑音が響いたんです。平衡感覚もおかしくなり、立っていられないほど。なんとか本番を乗りきりましたが、その後もハードスケジュールだったため、我慢してやっと病院に行ったのは1週間ほど経ってからでした。そこで「突発性難聴です。2週間は仕事を休んで治療に専念しないと治りませんよ」と言われ、びっくりしました。
それまで病気らしい病気をしたことがない健康優良児だったので、「ストレスからくる病気で、48時間以内の早期治療が大切です」という言葉に動揺しました。即入院になったのですが、決まっていた大事な仕事のために病室から出かける日もありました。
── 相田さんはもう聴力が戻らないかもしれないと言われていたところから、奇跡的にかなり回復したそうですね。
相田さん:入院中、毎日聴力の検査をしていましたが、「今日もダメだね」という状態が続いて1週間ほど経ったとき、聴力が上がり始めました。たぶん回復したのは、お見舞いに来たレコード会社の方が「翔子ちゃんは音楽を作れるんだから、これからもどんどん作ってね」と言ってくださって。こんな病気になったらもう歌は歌えないって沈んでいたんですけど、そうか、裏方でも曲作りがあるじゃないと気づかされたんです。
私、曲を作るのが好きだったな、ああ、曲作りたい!って目標がバシッと定まってから、どんどん調子がよくなっていったのを強く覚えています。病院で同じ症状の治療を受けている方たちとも仲良くなって、みんなで励まし合ったことも大きな助けになりました。つらい思いをしているのは自分だけじゃないんだって。
── やっぱり希望を持つことが大事なんですね。
相田さん:そうですね。今も耳鳴りは残っていて、何度か同じ病気を繰り返して聴力は下がってしまい、友達とおしゃべりしていて右側に立たれると、ちょっと聞こえづらいんですね。だから「反対だと大丈夫だから、移動させて」ってお願いすることはありますけど、症状にはすっかり慣れてしまいました。
「お人形じゃないんだよ!」初めて真剣に怒ってくれた監督
── その後、相田さんはソロでの音楽活動のほか、バラエティ番組でユニークな一面を発揮していきます。自分自身をさらけ出していこうと思うようになったきっかけは?
相田さん:デビューしたころ、自分はあがり症で人前が苦手。人見知りだし、芸能界はぜんぜん向いてないと思っていました。それが曲がヒットして毎日毎日テレビに出るようになり、早智子のおかげもあって、気づいたらあがり症も治っていたんです。それでも舞台だけは怖くて、お話をいただくと最初から「無理です」とお断りしていました。
でも憧れていた30歳になったときに、このまま変わらなくていいのかな、ひとつ壁を乗り越えたいなと考えたんです。そうだ、逃げてきた舞台に挑戦しようと思っていたら、ちょうどそのタイミングで『フールズ(FOOLS)』というお芝居のお話をいただき、「やります!」と伝えました。そこでまたひとつ大きな壁があって…。
そのときの監督が俳優の石井愃一さんだったのですが、うまく感情表現できない私に「お人形さんじゃないんだよ!」「どんどん恥をかけ!」って真剣に怒ってくださって。Wink時代からスタッフの方たちに大事に大事に育てていただいたなかで、初めて怒ってくれる人だったんです。
── そこで萎縮するんじゃなく、目覚めたんですね。
相田さん:それまで自分を作っていたわけではないんですが 、あまりにもWinkというものが大きくなりすぎて、自分はおとなしく清純なイメージを保たなきゃいけないんだというバリアを張っていたことに気づきました。石井さんに殻を破ってもらったことで、そうか、恥かいていいんだと思って。どんどんありのままの自分をさらけ出すようにしたら、お芝居も楽しくなっていきました。
人と接するときも苦手だったトーク番組も、うまく話せなくてもいいからあけっぴろげにしゃべるようにしたら、皆さん楽しんでくださって。本来の三枚目気質をさらけ出して、もっと自分らしく生きられるようになりました。
── それぞれのターニングポイントで、いろいろな方との出会いがあったんですね。
相田さん:そうなんです。早智子やスタッフ、石井さんなど、いい出会いのおかげで今があると思っています。
PROFILE 相田翔子さん
1970年生まれ、東京都出身。1988年「Wink」としてデビュー。翌年には日本レコード大賞を受賞。1996年の活動停止後、ソロ活動を開始。歌手として自作曲を発表するほか、ドラマ、映画、舞台などで女優としても活躍。バラエティ番組でのユニークなトークが人気を集め、老若男女を問わず支持されている。
取材・文/原田早知 写真提供/相田翔子