つややかな漆に金銀などで優美な絵を描く蒔絵。蒔絵アーティストの小西紋野さんはその魅力に惹かれ、輪島での修行を決心しました。能登半島地震で被災し現在は県外で避難生活を送る小西さんに、蒔絵の道に進む決心をするまでと輪島での日々、またこれからへの想いについて伺いました。

就活中にデパートで運命の出会いが

── 1月の能登半島地震で被災されたこと、心よりお見舞い申し上げます。小西さんは現在、輪島を離れて避難生活を送られていると伺いました。

 

小西さん:はい、子どもがまだ小さいので、神奈川の私の実家にいっしょに避難しています。夫と義父は輪島に残り、避難所生活を送っています。

 

── 神奈川県のご出身である小西さんが、なぜ輪島に行かれることになったのですか?

 

小西さん:大学3年生で就職活動をしていた時に、たまたまデパートで蒔絵の実演を見かけたんです。蒔絵に使う筆は穂先がとても長く扱いが難しいのですが、その筆で絵皿に絵を即興で描いていく筆さばきに「どうしてこんな長い筆でのびやかに描けるんだろう」と目が釘付けになりました。それが蒔絵との最初の出会いでした。

 

その時、実演をされていたのは会津の方で、工房に伺っていろいろ教えていただいているうちに、「本格的に蒔絵を習ってみたい」という気持ちが大きくなっていきました。探してみたところ、輪島に塗り物について一貫して教えてもらえるところがあるということで、輪島の漆芸技術研究所に行くことになりました。

 

金色の地に色とりどりの蝶があでやかな香合(香を入れる器)

── 普通に就職活動をされていたのが、大きな方向転換ですね!大学ではまったく違う分野を専攻されていたんですよね?

 

小西さん:大学では政治を専攻していました。でも大学3年生になって、いちおう就職活動をしていたのですが、すごく切羽詰まった気持ちになって。「本当に就職するんだろうか」と自問自答していた時に、デパートで蒔絵の実演を見て、「一回しかない人生。これにかけたい」と思いました。

 

それまで伝統工芸のことはあまり知らなかったですし、漆に触れたこともありませんでした。何もわからない状態で飛び込みました。

 

── ご家族はびっくりされたでしょうね。

 

小西さん:うちの場合、父は作曲家で母はピアノ教師と芸術に関わる仕事をしているせいか、私が「蒔絵をやりたい」と言った時は意外と驚いていませんでした。反対せずに、背中を押してくれ、私も両親といっしょに会津の職人さんの工房に行くなど、理解を深めてもらうように努めました。

 

── ご両親とも音楽家ということで、「音楽の道に進め」とは言われなかったのですか?

 

小西さん:まったくなかったです。「バイオリンをもっとまじめに練習しなさい」と小さい頃には言われましたが(笑)、将来について「ああしろこうしろ」と言われたことはありません。ただ、「好きなことを見つけなさい」とはよく言われました。

 

── 今、あんなに美しい蒔絵を描かれているということは、やはり小さい頃から絵が上手だったのでしょうね。

 

小西さん:子どもの頃から絵を描くのは好きで、水彩や色鉛筆などで好きな絵を描いていましたね。あとは、輪島に行くことを決めてから通ったデッサン教室の先生がいい方で、「蒔絵を勉強しに行く」と言ったら、それに役立つような方法でいろいろ教えてくださいました。その時に習ったことが、今でも役に立っています。

 

色とりどりの花やベリーがモダンでかわいいボンボニエール(砂糖菓子の器)

漆にかぶれながら「ついていかなくちゃ」と必死に修行

── 蒔絵との運命的な出会いで始まった輪島での修行時代は、どのようなものでしたか?

 

小西さん:大学を卒業した2006年に、石川県立輪島漆芸技術研修所に入りました。最初の2年で木地、漆の塗り、蒔絵と全体的に教えてもらえる初心者コースを修了、その後、3年間の専修課程で蒔絵を専攻しました。

 

その学校に来る人は地元の子だとか美大卒だとか、漆やデザインの分野で何かしら経験のある人が多かったので、完全に未経験な私は最初の頃ついていくのに必死でした。授業で聞いたことを理解したと思っても、手を動かしてみると全然うまくいかなくて、何度も悔しい思いをしました。それでも、「ついていかなくちゃ」と必死で頑張りました。

 

漆なのでかぶれますし、蒔絵は材料や技法のバリエーションが豊富で、材料ごとに作業の工程が変わってくるので、その習得にも苦労しました。

 

イースター・エッグのような卵形の香合。蒔絵のさまざまな技術を駆使して、雨や太陽の光、山、雪など自然の美しい場面が描かれている

── まったく新しいものを学び、しかも周りは経験者というのは大変だったでしょうね。漆芸技術研究所を卒業された後は、どうされましたか?

 

小西さん:中島甚松屋蒔絵店の中島和彦さんに弟子入りし、4年間修業しました。中島さんは3代続いた蒔絵師さんで、古典蒔絵の優れた技術を持っていらっしゃる方です。

 

印籠(いんろう)というものを、皆さん水戸黄門などでご存じだと思いますが、表面の蒔絵もさることながら、蓋がパチンと閉じるための部分を作るのが難しく、最高級の技術が必要とされます。師匠の中島さんは若い頃から印籠の作り方の研究をされていたので、修行中に中島さんしか持っていない高い技術を間近で見せてもらえたのは幸運でした。

 

── 漆芸の場合、学校卒業後は弟子入りをするのが一般的なのですか?

 

小西さん: 研修所は作品づくりを学ぶ場だったので、例えば漆器屋さんから請け負って器を作成する時、「どういう材料で」「いくらぐらいで」など、仕事として必要な部分を習う機会はあまりありませんでした。でも何も考えずに作ると、とんでもない金額になってしまいます。そういう基本的な部分を、師匠の仕事の様子を横で見ながら覚えることができるので、弟子入りすることも大切だと思います。

 

── 師匠は厳しかったですか?

 

小西さん:いえ、とても親切な方で本当によく面倒をみてもらいました。年季明け(弟子入り期間終了)後も、車で10分ほどの距離なので、難しい直しものを請け負った際など「どうしよう」と泣きついて行ったり(笑)。子どもが生まれてからは子どものことも可愛がってもらうなど、家族ぐるみでお付き合いしています。

 

輪島は小さいところなので、人と人との距離が近いんです。こういう町だから、それぞれの専門家がいて分業で作られる輪島塗が可能になったのだろうな、と思います。

 

小さなエリアに作り手が集中しているので、何かあればパッと行って「こういうのできますか」と相談できます。それぞれの工程の担当者が常にコミュニケーションを取りながら作っていく土壌なので、震災後の今、多くの方が輪島を離れてばらばらになっていて、皆さんつらい想いをされていると思います。

輪島で江戸時代から続く漆器店の9代目と結婚し

── 4年間修業された後、年季明けの年にご結婚されていますね。ご主人は輪島の方ですか?

 

小西さん:夫は輪島で漆器を扱う店の中では一番古い、江戸時代から続く小西庄五郎漆器店の9代目です。主人と私は同世代で、学校の同級生が主人の家の近所に住んでいた縁で、いっしょに遊んだりご飯を食べたりするうちに親しくなりました。

 

彼は漆器屋さんなので、販売の専門家であり、最初のうちは作り手のことがまったくわかっていませんでした。輪島では漆器屋さんはものづくりそのものには興味がなく、もっぱら販売専門という方が多いんです。それで作り手と売り手の価値観にミスマッチが起きるというのが、これまでの輪島の問題点でした。

 

夫も最初はそうだったのですが、作り手のことを理解したい、というのが夫にはもともとあったのでしょうね。それで、私達作り手とも付き合いをしていたのだと思いますが、その中で「やはり作ることが中心でないとだめだ」と次第に理解してくれるようになり、「いっしょにものづくりを考えていこう」と、年季明けの2015年に結婚しました。

 

── 結婚後に、独立して蒔絵制作を始められたのですか?

 

小西さん:お店番をしながら、少しずつ自分の蒔絵の制作もしていました。そうして作ったものを出展した時、漆芸を未来につなげるために新しいチャレンジをしている漆芸職人集団「彦十蒔絵」の主催者、若宮隆志さんから「うちで一緒に活動してみないか」と声をかけられました。

 

彦十蒔絵では、塗りや蒔絵などの若手漆芸作家たちが若宮さんのプロデュースのもと、アニメーションやアートなど異業種とコラボするなどして、古典技術を大切にしつつ現代的な新しい視点での作品づくりを行なっています。

 

2017年に、世界的に活躍されている現代アーティストの小松美羽さんとのコラボで、アクリル画で作成された小松さんの原画を蒔絵作品として再現するプロジェクトに関わったのを皮切りに、本格的に彦十蒔絵での活動を開始しました。

 

彦十蒔絵のプロジェクトで和楽器バンド・蜷川べにさんのために作ったエレキ三味線。蒔絵の部分を小西さんが担当

若宮さんは独自の世界観で、新しい価値を生み出すようなアート作品を作っていらして、それを目にして私も「自分の作品を作っていくことも大事だな」と思うようになりました。

 

── 小西さんはご自身のホームページでも、「蒔絵師」ではなく「蒔絵アーティスト」とされていますね。

 

小西さん:注文された器だけではなく、自分の「作品」を生み出しているので、職人というよりアーティストだと思っています。自分の作りたいと思うもの、あるいはお客様といっしょに考えて、自分だからこそできるものを作っていきたいと思っています。

2児出産も「ここでキャリアを中断するよりは」

── 小西さんが作品づくりで大切にされていることは何ですか?

 

小西さん:蒔絵は材料の種類や技術が豊富なので、それぞれの材料をしっかりした技術で使いこなすことが大事だと思っています。

 

例えば漆にはさまざまな性質のものがあり、粘りの強さ、乾きの早さ、透明感などそれぞれ違います。それらを自分の作品を描くのに使いやすい状態に整えなければなりません。

 

また、筆づかいも少しブランクがあると手が動かなくなるので、ひたすら練習が必要です。材料や技法を最大限に活かしながら、豊かな表現ができればと思っています。

 

── 作品には、鮮やかな蝶やかわいい草花など、自然のモチーフが多いですね。

 

小西さん:漆の透明感や材料のきらめきが、自然界にあるものと近いように感じられるんです。生命力とか、そういうものを感じられるものが作れたらと思っていて。

 

自分がプラスの感じがするものというか、力が湧いたり「いいな」と感じるもの、温かみとか力強さとか、自分の作品はそういうものを感じ取れる存在であってほしいな、と思っています。そういう願いが作品から伝わり、誰かの心に必要とされるような、ずっと見つめてもらえるような存在になってくれたら、と思っています。

 

いつまでも眺めていたくなるような美しさと力強さがある小西さんの作品

── 小さいお子さんがふたりいらっしゃいますが、子育てされながらお仕事はいかがですか?

 

小西さん:ひとり目が生まれた時は実家に半年ほどいたので、蒔絵の道具を送って子どもが生まれるその日まで仕事をしていました。材料や道具を出しっぱなしのまま病院に行ったので、母が写真を撮って「これどうすればいいの」と聞いてきたり(笑)。産後も2か月目くらいから、母に子守を頼みながら途中の仕事をしあげたりしました。

 

ふたり目の時は、上の子がいるので集中して蒔絵の作業をするのは難しかったですが、図案を考えたり、夫も自営業でやっているので、夫に時間を融通してもらい子どもを見てもらいながら、夜作業をしたりしました。

 

1つの作品を作るのに1年ほどかかるので、今のうちにできること、例えばアイデアをあたためたり、他の工程を担当する職人さんのところに打ち合わせに行ったりなど準備をしておいて、下の子が保育園に行けるようになったら蒔絵に取りかかりたいと思っています。

 

── 出産して子育て中も、そのままお仕事は続けられているということですね。

 

小西さん:小さいうちから預けるのは子どもにとって寂しいかな、と悩んだりもしましたが、「ここで中断してしまうよりは、自分がしっかり仕事を続けて、少し大きくなったら自分の仕事を見てもらう方がいいかな」と思いました。夫が漆のことも含めて理解してくれているので、できていることだと思っています。

手を動かして作ることが輪島塗の復興につながる

── 元旦早々に震災に遭われ、本当に大変だったと思います。当時はどのような状況でしたか?

 

小西さん:私と夫と子ども達は自宅のアパートに、義父は朝市通りの店舗兼住宅にいました。地震後、義父は津波の恐れがあるのですぐ避難し、私達は道路が寸断されて車で移動するのが不可能だったので、アパートの敷地内で車中泊しました。アパートは高台にあるので1日目は輪島の町の様子がわからず、次の日に初めて全体の被害の大きさを知りました。

 

火災が発生し、夜7時くらいに義父から連絡があったときは、「まだうちから遠い」ということでしたが、10時前頃にもう一度電話がかかってきて、「5, 6軒先が燃えているからうちも燃える」と。あわてて夫が、歩いて朝市に行き義父と会いました。今考えると義父も店に火が移る前に物を運び出すことができたのではと思いますが、当時はあまりの事態に茫然として、通帳と印鑑を持って出ることしか思いつかなかったようです。

 

2日目も車は出せない状況でしたが、「このままここにいても助けがいつ来るかわからない」と思い、山を歩いており、1時間ぐらいかけて避難所に行きました。

 

震災翌日の朝市通りの様子。緑の屋根のビルが小西さんの店

避難所で数日宿泊した後、たまたま友達が輪島に物資を届けに来ていて帰りに乗せてくれると声をかけてくれました。小さい子がいてこのまま避難所生活を続けるのは難しいと思い、私と子どもはいっしょに乗せてもらって金沢まで出ました。そこから、子ども2人と神奈川の実家へ行くことができました。

 

── 震災後、まだ復興も途中ですが、輪島の状況はいかがですか?

 

小西さん:店舗は火災に遭いましたが、2階から上は火が回らなかったので、作品が煤だらけになって転がっていました。傷がなかったものを拭いて、今、出品しています。輪島の人達の作品を展示しようと声をかけてくださった方がいたので、ありがたく参加させていただいています。

 

── 輪島塗に関しては特に、関係者や全国の方々が、震災後早い段階から復興のための活動をされている印象がありますが、いかがですか?

 

小西さん:既存の商品を売るというよりも、今からみんなが手を動かして自分で作っていくことが輪島塗の復興につながっていくのでは、と思っています。

 

小西庄五郎漆器店として主人がクラウドファンディングを立ち上げましたが、自分たちがしっかり立ち上がるためにはもちろん、職人さんにもお仕事をしてもらうことで復興につながっていけばという想いで計画しました。

 

輪島塗は機械で作るものではなく、ほとんど全部が手作業なので、人がいて、すなわち作り手の方達がいて初めてできるものです。みんなで作ってみんなでいっしょに輪島塗を未来につなげていくことが大事なことかな、と思っています。

 

── 最後に、これから小西さんがされたいことについて教えてください。

 

小西さん:私は県外から輪島へ来て蒔絵をしていますが、研修所の生徒さんをはじめ、県外から学びに来る方はたくさんいます。特に今、震災後の避難状況の中で、生徒さんやこれから学びたいという方も今後のことが宙に浮いてしまっている状態です。そういう漆を志す新しい人たちが、輪島での制作に希望を持てるような活動をしていかなければと思っています。 

 

── 具体的な計画はありますか? 

 

小西さん:もう少し落ち着いたら、個展を目指して作品づくりをしていきたいです。

 

上品なパープルブルーと金の唐草模様が美しいカップ&ソーサー

また、両親が音楽家ということで、私も音楽には関わりがあるのですが、以前、指揮棒を作った時に買ってくださった方が、知り合いの笙(しょう)演奏家の方を紹介してくださり、蒔絵をつけて欲しいと依頼を受けました。そういうものをきっかけに、蒔絵をより多くの方に知っていただき、新しいつながりやチャレンジが広がっていけば、と思っています。

 

震災後、皆さん応援で輪島塗を購入していただくという機運が高まっていると思います。多くの方に輪島塗や漆のことを知っていただけたら嬉しいですし、自分も皆さまに良いものがお届けできるように、手を動かして今まで通りしっかりしたものづくりをして皆さんに見ていただきたいと思っています。

 

PROFILE  小西紋野さん

こにし・あやの。1983年東京都立川市生まれ。神奈川県相模原市で育つ。明治学院大学法学部政治学科卒業後、蒔絵の奥深さに魅了され石川県立輪島漆芸技術研修所に入所。同所蒔絵科卒業後、中島甚松屋蒔絵店の中島和彦氏に弟子入り。若宮隆志氏主宰の彦十蒔絵にて、アートと漆芸を融合させるプロジェクトに多数携わる。国際漆展、日本伝統漆芸展等入賞多数。現在、小西庄五郎漆器店では、輪島朝市通りでの再建と輪島塗復興に向けクラウドファンディングを実施中。

 

取材・文/中谷美加