どんなに魅力的な仕事でも、手応えをつかめないまま走りきるのは難しい。羨望の職を辞してまで見出した一筋の光。そして、学生時代のツラくも温かだった記憶を片手に、大橋マキさんはアロマの世界に向かいました。(全5回中の2回)

施術で蘇った「母がしてくれたマッサージの記憶」

── アロマセラピーとの出合いは、取材がきっかけだったそうですね。

 

大橋さん:入社2年目に、情報番組のリポーターとして訪れたアロマセラピーサロンで施術を受けたことが直接のきっかけでした。

 

当時、睡眠や食事もままならないほど忙しく、疲れ果てていたのですが、セラピストさんの優しいタッチに気持ちがほどけ、心からリラックスできたんです。

 

香りとともに、優しく触れられることで、瞬時に心が開かれて気持ちがラクになる。「こんなすごいコミュニケーションがあるんだ!」と驚かされました。それと同時に、ある記憶が蘇ってきたんです。

 

小学校時代の大橋マキさん
「もしかしてワンパク女子?」小学校のときの運動会に燃える大橋マキさん

── どんな記憶だったのでしょう?

 

大橋さん:私は、「脊柱側弯症」という持病のため、中高の6年間、プラスチック製の硬いコルセットを巻いて生活していました。

 

背骨がS字に湾曲するのを防ぐための治療だったのですが、お腹をぺたんとへこませた状態で、鉄の芯が入った甲冑のようなコルセットをグイっと巻くので、腰骨に擦れてすごく痛いんです。コルセット生活の間は、体中があざだらけでした。

 

1日のうち、コルセットを外せるのは、体育の授業とお風呂の時間だけ。お風呂あがりに母が私を畳の上に寝かせ、背中を30分優しくさすってくれるのが日課でした。母に触れてもらう時間だけは、痛みがすごくラクになる感覚がありました。

 

そんなある日、母が私の背中をさすりながら寝入ってしまったんです。自分も疲れているのに、毎日、背中をさすり続けてくれた母の大きな愛情を感じ、涙が溢れて止まりませんでした。

 

アロマセラピーの施術を受けた瞬間、そのときの記憶とともに、母の手のぬくもり、畳の香りまでが急激によみがえってきたんです。不思議な感覚でした。

持病のせいで「スポーツもダメ」「ヒールもつらい」

── お母さまも懸命にケアされていたのでしょうね。

 

大橋さん:必死だったと思います。代替医療を含め、いろんな治療を探してきては、私を連れて行ってくれました。ただ、当時は子どもだったので、それらのすべてが面倒くさくて、母の思いを受け止める余裕がありませんでした。

 

「なぜ私だけこんなことをしなくてはいけないのだろう」とやりきれない気持ちになり、「こんな生活もうイヤだ!」とコルセットを投げつけ、ケンカになったことも。母の必死さに、ちょっと疲れていた部分もありました。

 

背骨の持病は、私の人生にいろんな影響を及ぼしました。背中が曲げられないので、モノを落としてもなかなか拾えない。大好きだった運動も制限されました。

 

テニスなど、体の使い方に左右差が出るものはダメ。唯一許されたのが、剣道と水泳だったので、中学時代は、剣道部に所属していました。

 

フジテレビ時代の初々しいスナップ

── 大変な思いをされたのですね。その後、背骨は完治したのですか?

 

大橋さん:曲がった骨を完全に真っすぐにすることは、難しいんです。コルセットは湾曲を進行させないための治療でした。いまでも背骨は曲がっていますし、足の長さにも左右差があるので、アナウンサー時代にハイヒールを長時間履き続けるのがつらかったですね。

自分の生きる道をつかむため「感謝を胸にフジテレビを2年で退社」

── アロマセラピーの施術を受けて、「こんなすごいコミュニケーションがあるんだと驚かされた」とおっしゃっていましたね。なぜそう感じたのでしょうか?

 

大橋さん:アナウンサーとして、言葉でのコミュニケーションに葛藤していた時期でした。チームで作り上げたものを、決められた短時間のなかで言葉にのせて届けるのがアナウンサーの役割。

 

でも、なんだか自分の言葉が上滑りしているような気がして、観ている方にきちんと思いが伝わっている実感が持てずにいました。私のなかで、地面をしっかりつかんで歩くような「手触り感」はすごく大事。自分自身が腹落ちしていない状態では、どうやって仕事に向き合えばいいのか、わからない。

 

「たしかな感覚」が持てず、途方にくれていた私にとって、アロマセラピーによるタッチングは、一筋の光のように思えたんです。肌に優しく触れることで、忘れていた記憶を一瞬で思い出されたり、疲弊していた心が癒やされ、開かれていく。そこに香りがあることで、さらに寄り添ってくれる感覚がありました。

 

言葉がなくても、「たしかな感覚」を得られるコミュニケーションがそこにある。それは、私にとって衝撃でした。「ここをもっと掘り下げてみたい」という直感があったんです。

 

── コミュニケーションは、言葉だけではない、と。

 

大橋さん:いま思えば、言葉というコミュニケーションに縛られていたのかもしれません。言葉はひとつの表現方法であって、呼吸だけで伝わる表現もありますよね。当時は、まだそれに気づきませんでしたけれど。

 

ただ、この感覚を手がかりにして、コミュニケーションというものをもっと知りたい、ちゃんとつかみたい気持ちが湧き上がってきたんです。そこで、体験取材の翌日に、アロマセラピーの通信講座に申し込みました。

 

── 行動が早いですね。

 

大橋さん:それだけ必死だったのでしょうね。ただ当初は、アナウンサーをやめるつもりはなかったんです。ですが、だんだん理解が進むにつれて、机上の学習ではなく、実際にアロマセラピーを実践している現場を見ないと何もわからないという思いが強くなりました。

 

イギリス滞在中に撮ったホストファミリーのお孫さんたちと「サリー州の小さな街で時計のいらない生活でした」

当時、日本ではそうした場所がなかったので、本場のイギリスでアロマの学校に通って本格的に学ぶことを決意して、フジテレビを退社しました。

 

たった2年で退職するのは、すごく申し訳ない気持ちもありましたが、周りの方も理解してくださり、温かく送り出してくれました。いまでも感謝をしています。

 

PROFILE 大橋マキさん

おおはし・まき。1976年生まれ、神奈川県出身。聖心女子大学卒業後、1999年にフジテレビにアナウンサーとして入社。バラエティや『プロ野球ニュース』などを担当。2001年に退職後、イギリスに留学して植物療法を学ぶ。アロマセラピストとして6年間の病院勤務を経て、現在は、アロマによる空間演出、デザインを手掛けるほか、福祉、地域振興、企業支援に至るまで幅広く活躍。2018年に、「一般社団法人はっぷ」を立ち上げ、神奈川・葉山で自然と共にある暮らしを通し、地域の繋がりづくりを実践している。2児の母。

 

取材・文/西尾英子 画像提供/大橋マキ