100キロ近い体重になり、人の手を借りないと階段を上がれない。膝の病状の悪化で歩くことさえ難しい。「ただ、ふつうに歩きたい」。その願いから胃の切除に踏みきったブル中野さん。そこには壮絶な歩みと希望がありました。(全5回中の5回)

115キロまで増えた体重「3か月で60キロに」

── レスラー時代は100キロ超えとずいぶん大柄でしたが、これは意識的に増量したのですか?

 

ブル中野さん:中1でオーディションに受かって、全日本女子プロレスに入ることが決まっていたので、最初から意識的に太ろうとしました。

 

中学卒業後の入団時には、60キロくらい。その後は試合と練習以外、起きているときはずっと食べていました。

 

食べてないと、ハードな練習によりどんどんやせていくから。寮に入ると最初の1年間だけは、お米のみ支給されるんですよね。だから、おかずは自腹でした。

 

【画像】「現役時代から50キロ減」美人ママとして話題になったガールズバー経営時代の写真など

ただ、ゆるく太るのではなく、引き締まった筋肉をつけるには運動も必要です。当時は、いまみたいに質のいいプロテインは売っていませんでした。ようやくカロリーメイトが出始めた時代です。

 

でも、自力では92キロまでしか増えなくて、そこからがめちゃくちゃ大変でした。どうしても100キロ超えたかったので、ステロイドや男性ホルモンを打ちました。

 

── 引退時の体重は115キロ。プロゴルファーを目指し、大幅に減量されたそうですが、どうやって?

 

ブル中野さん:現役時代15年間、食べ放題&飲み放題で暮らしていたので、体重を落とすのは本当に苦労しました。

 

私が選んだのは、糖尿病の方と同じ食生活にして、自炊で1日1600キロカロリーに制限すること。それから、1日5時間の水泳やエアロバイクなど有酸素運動と、1時間の筋トレを3か月間毎日続けて、50キロ減量しました。

 

── 50キロって、大人1人分ですよね。想像がつきません。

 

ブル中野さん:そもそも50キロやせるなんて、どうしたらいいのかわからないので、スポーツジムのインストラクターたちと手探りで進めました。

 

でも、最初から50キロ減量を目指していたわけじゃなくて、普通の人と同じように動ける身体にするのが目標。「いい」と言われることは、すべて試しました。部屋を青い壁紙にして食欲を抑えようとしたり…。

 

最終的に効果があったのは、食事制限と運動、そして規則正しい生活です。生活リズムを変えるのも大変でした!

 

── プロレス時代の生活リズムは、いまとはまったく違うんでしょうか?

 

ブル中野さん:プロレスは夕方6時半から試合が始まり、夜の10時くらいまで続きます。完全な夜型生活を15年間続けたなかで、朝型に戻すのが一番ツラかったです。

 

試合前は栄養ドリンクを飲んで、自分をワーッと奮い立たせていました。だから引退後も、夜9時くらいになると目がさえて興奮してしまうので、なんとか眠ろうと必死でした。

歩けない体になり「胃の9割切除」を決断

── 9年間のアメリカゴルフ修業から帰国後、2012年に改めてレスラー引退式を行われたそうですね。

 

ブル中野さん:1997年、ケガがきっかけでやめたので、引退式をしてなかったんです。15年たって、結婚もして落ち着いたので区切りをつけようと思いました。

 

現役時代に近づけようと、9か月くらいかけて100キロまで体重を増量しました。その後の減量は、テレビ番組が密着し、いろいろ試しながら30キロくらいはやせたのです。でも、企画が終わると、飲食店経営をしていることもあって、飲む機会が多くて太っちゃって。

 

半ハゲスタイルで圧倒するプロレスラー時代のブル中野さん

── そのころは何キロくらいだったのですか?

 

ブル中野さん:95キロくらいかな。困ったことに、古傷の膝が悪化して重度の変形性膝関節症になり、ほとんど歩けなくなって。

 

これでは以前のように、運動してやせることができない。もう、食べる量を減らすしかない、というわけで、胃を9割切除する手術を受けました。

 

── 胃を切除…。それしか選択肢がなかったんですか?

 

ブル中野さん:はい。身体が重すぎて膝に負担がかかるため、歩けないですから。階段を上るときは、夫にお尻を押しあげてもらうなど、介助がないと厳しい状態でした。もとの生活を取り戻すには、体重を落とすしかありません。

 

主治医からは「同じ手術をしても、まったく食べられなくなる人もいれば、前の体重に近いところまで戻る人もいる」と説明を受けて、これは賭けだなと。

 

手術前に「手術後にしたいことリスト」をまとめて、「とにかく歩けるようになりたい」「誰の手も借りずに、普通に歩きたい」「ちょっと早歩きしたり、走ったりしたい」「ゴルフに行きたい」「夫婦で旅行に行きたい」って書きました。当時は、そんなことさえできない状態に追い込まれていたんです。

 

── 手術後は、ほとんど食べられなくなったのでしょうか?

 

ブル中野さん:はい、食べられなくてみるみるやせました。胃は100cc分だけ残しました。手術直後は、水を飲むのもペットボトルのキャップに入れて、30分おきに飲むけど戻しちゃう。固形物なんて食べられなくて、ほとんどサプリメントで補いました。

 

手術から10年近く経過して、いまは安定しています。最近、1回の食事でゆっくり時間をかけて半人前を食べられるようになりました。

 

── 胃を切除すると、食欲もわかなくなるんですか?

 

ブル中野さん:食欲はあります。脳が「食べたい」と覚えているんですよ。でも、食べられるはずだと思っていても、胃が満杯になり結局食べられないです。

「幸せ」と胸をはれる生き方をしたい

── その後開いた、ガールズ婆バー「中野のぶるちゃん」の美人ママとしてメディアにとりあげられましたが、いまも人前に立つとき大切にされていることはありますか?

 

ブル中野さん:「この人は、いままでいろんなことをがんばってきたんだろうな」と、ひと目でわかるような生き方をしたいです。笑い方や言葉ひとつでも伝わりますよね。お肌のリフトアップなどもやってきましたが、アンチエイジングもそのひとつかも。

 

ダンプ松本さんたちは60歳過ぎても、現役でプロレスをされているんですよ。皆さんがんばっているし、ちゃんと人前に立っている。そういう方たちがたくさんいるので、追いつけ追い越せで、負けられないです。

 

── 心の持ちようが素晴らしいですね。外見、やっていること、トータルでいまの自分を表現しているという…。

 

ブル中野さん:いまでも、プロレスの大きな大会のイベントに参加すると、プロレスの後輩や当時の仲間たちに会えますからね。もし、いまの私が幸せでなければ、昔の輝かしい時代をともに過ごしたプロレスの仲間たちの輪の中に入れないです。

 

私がいま幸せでやりたいことがあってイキイキして自信があるから、どこにでも顔を出せるんです。自分が不幸だったり、自信を失ったら、みんなに会えません。

 

実際、活躍を続けるレスラーもいれば、姿をずっと見ない人や探しても会えない人たちもいます。そうなるとやっぱり寂しいですから。

 

── ブル中野さんは、プロレスの仲間を大切にしていますが、プロレス以外については?

 

ブル中野さん:これまで経験のないことに挑戦したいですし、もっといろんな人に会ってみたいです。やはり、プロレスは私のテリトリーなんですよ。努力しなくていいし、気をつかわなくてもいい場所なんです。

 

でも、居心地のいいところにばかりいたら向上しません。自分が居づらく「何をすればいいんだろう?」って、ピリピリしたり、ドキドキしたりする緊張感のある場所に自分をおかないと、先には進めないですよ。

 

だから、自分が嫌な場所にも行かなくっちゃいけませんね。プロレスをやめたときは、イヤでイヤでたまらない場面もありましたが、いまは挑戦が必要な機会を率先して選んでいます。

 

PROFILE ブル中野さん

1980年全日本女子プロレスに入門、1990年代に悪役として頂点を極める。米国のWWF世界女子王座を日本人として初めて獲得する他、WWWA世界シングル王座獲得多数。YouTubeチャンネル「ぶるちゃんねる」で多くのレスラーと対談中。

 

取材・文/岡本聡子 写真提供/ブル中野