小学5年生で見たアントニオ猪木さんに衝撃を受け、中学1年生で全日本女子プロレスの門を叩いたブル中野さん。待っていたのは、目指したカッコいいレスラーではなく、極悪なる悪役でした。(全5回中の1回)

“歌って踊れる“スターレスラーを目指し入門したが

── ブル中野さんと言えば、強烈な悪役レスラーっぷりが印象に残っています。どのような経緯でプロレスラーになったのですか?

 

ブル中野さん:最初は“ビューティーペア”みたいに「歌って踊れるプロレスラー」を目指していました。小5のときにアントニオ猪木さんの試合をテレビで観て、衝撃を受け感動したんです。

 

そこからプロレスファンになり、中1で全日本女子プロレスのオーディションを経て練習生として入門。中学校の長期休みは、レスラーとして試合に参戦しました。

 

── 中1から!いつから悪役に路線変更したのですか?

 

ブル中野さん:中学を卒業して、正式に全日本女子プロレスに入社した翌年からです。入門すると、全員、会社からジャージを渡されます。

 

赤いジャージはベビーフェイス(善玉)、紺のジャージはヒール(悪役)。最初はみんな赤いジャージなんですが、16歳のとき、同期の中で私だけが紺のジャージを渡されました。

 

── 紺のジャージをうけとったときの気持ちは?

 

ブル中野さん:「私がやりたいのはこれではない」「悪役になるのは、イヤだ」と思いました。歌って踊れるレスラーなりたかったので、悪役になった時点で人生終わり。もうこれから先、一生お前は悪役として「裏街道」決定だぞ、ってことなのだろうかって…。

 

── 悪役には抵抗があったんですね。

 

ブル中野さん:もう、親に言えなかったです。地元の友だちや同級生にも。スターを目指して入って、みんなが応援してくれているのに、悪役になるかもなんて言えないですよ。

 

極悪同盟時代のダンプ松本さんとツーショット

── それは葛藤しますね。その後どうしたのですか?

 

ブル中野さん:紺のジャージをもらっても、本人が受け入れるまでは悪役決定ではありません。そんなとき、ちょうど先に極悪同盟を作った先輩のダンプ松本さんが、「お前、ベビーフェイスやっても多分ダメだから、極悪同盟に入れ!」って毎日誘ってきたんです。

 

新人は、先輩に「ありがとうございます」「すみません」くらいしか言えないので、ひたすら「すみません」と毎日返事を続けたのですが、これは断りきれないと悟りました。最終的に「悪役になります」とダンプさんにお返事しました。

 

── ダンプ松本さんの反応は?

 

ブル中野さん:そのまま、ダンプさんに手をバーンってひっぱられ、社長室に連れていかれて「中野が悪役になりたいって言ってます!」とダンプさんが社長に宣言。社長は「わかった、今日からお前はダンプの下で極悪同盟としてやれ」と認めました。

「悪役に徹しきれない私」それを見た先輩がバリカンを片手に…

── ダンプ松本さんの勢いと熱意が勝ったんですね。

 

ブル中野さん:ダンプさんにとって、これは最後の賭けだったんです。極悪同盟の前のデビル軍団にいたときは、ダンプさんは悪役だけど、ちょっと面白くてかわいいイメージだったんです。

 

実際にダンプさん自身が本当に楽しい人で、全女の中でもムードメーカーでしたので、デビル軍団をやめて、極悪同盟を作ってからは最後のチャンスと決めて、憎まれ役に徹しました。

 

いままでの自分をいっさい捨てる意気込みが強かったですね。だから、私に対してもすごく厳しかったです。

 

── なぜ、ダンプ松本さんはブル中野さんにそんなに厳しく接したのですか?

 

ブル中野さん:私は悪役になりたくてなったわけではないんです。だから、「本当は悪い人じゃないんだよ」と、心のどこかでファンやお客さんにアピールしたかった。ダンプさんには、その心の内が見破られてしまいました。

 

ダンプさんは「自分だって本当は悪い人になりたくないし、実際は悪い奴でもない。でも、ここでチャンスを掴めなかったら、一生、チャンスはないから悪い奴になるんだ。本当は、みんなを笑わせたり、仲良くレスラー人生を歩んでいきたいけど、そんなのは全部捨てた。プロレスを仕事とわりきって、お前にも徹底的にやってほしい」と私に言いました。

 

── その言葉で、ブル中野さんも覚悟が決まったのですか?

 

ブル中野さん:私は悪役になりきれてなかったので、ダンプさんに「お前、まだかわいこぶってるから、ハゲにしろ!」って、その場でバリカンで頭を半分剃られて、半ハゲになっちゃったんです。

 

半分刈り上げる髪型なんて、誰もいない時代だったからみんなびっくりしていました。

親戚全員から「なんで悪役になっちゃったの?」

── 悪役になることを、ご家族など親しい人たちにはどのように伝えたんですか?

 

ブル中野さん:悪役になる前は、母も試合会場に観に来てくれたのですが…。母には「悪役になってもいいけど、化粧したり髪を染めたりはしないでね」って言われました。でも、そうはいきませんよね。

 

半ハゲにしたときも、雑誌に出たら母に知られるだろうと思い、先に電話しました。「ちょっと髪の毛を短く切ったんだよね」って言ったら、母は「そうだったの、いままでの髪型もよかったのにね」みたいな感じで…。これはもう、雑誌見たら泣くだろうなーって思いました。

 

半ハゲスタイルで圧倒するブル中野さん

振り返ると、親のほうが大変だったと思います。私はレスラーになりたくて入門しているから、どんなことがあってもやっていくからいいのですが、親は見守り、応援するしかできないですよね。

 

悪役になるのは、私にとって嫌なことだろうとわかっていても、親や友だちは何もできないんです。状況を変えられず、見ているだけが一番つらいはず。親戚全員に「なんで悪役になっちゃったの?」って言われたし、お正月に1日だけ休みがあって実家に帰ったときもみんなに聞かれましたから。

 

でも、ダンプさんに半ハゲに刈り上げられたあの日、私の「悪役への覚悟」がようやく決まりました。

 

 

PROFILE ブル中野さん

1980年全日本女子プロレスに入門、1990年代に悪役として頂点を極める。米国のWWF世界女子王座を日本人として初めて獲得する他、WWWA世界シングル王座獲得多数。YouTubeチャンネル「ぶるちゃんねる」で多くのレスラーと対談中。

 

取材・文/岡本聡子 写真提供/ブル中野