つんく♂ファミリーとして衝撃的な1年半の活動を行った太陽とシスコムーン。つんく♂さんと交わした会話、過ごした時間、求められたこと…メンバーだった小湊美和さんが振り返ります。(全4回中の3回)

 

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歌い方や発声「民謡との違い」苦労しながらくらいついた

── 太陽とシスコムーンとしてデビューする前は、民謡歌手として長く活動してこられました。民謡とポップスでは発声も歌い方も違うと思うのですが、うまく対応できましたか?

 

小湊さん:最初のレコーディングのときに、つんく♂さんから「隣の人に聞こえる程度の声で、ささやくように歌ってほしい」と言われたのですが、これまでずっとバリバリに声を張る歌い方をしてきた私からすれば、真逆のやり方。すごく難しく感じたんです。

 

とはいえ、「ムリです、できません」という選択肢は自分のなかにはないので、「こういう感じですか?」と少しずつ調整しながら、求められているものに早く近づけるように努力していました。

 

19歳のころにはNHKの民謡番組に出演

── すぐに順応できるのは、さすがですね。これまでのやり方にこだわってしまうということはありませんでしたか?

 

小湊さん:もちろん気持ちよく歌えているかといえば、そうではありませんでしたが、グループで活動する以上、「素材として生かされてナンボ」だと思っているので、これまでのやり方に執着することは、まったくなかったですね。

 

こうした考えの原点には、父の言葉があります。上京するときに、「この先、ひとさまの作品に参加させていただくときは、よい素材として期待に応えられるようにベストを尽くしてこい」と、プロとしての在り方を教えてもらいました。

 

だから、「どうしたら、つんく♂さんの求める素材になれるんだろう」と、いつもそればかり考えていました。

太陽とシスコムーン衝撃の1年半「解散の真相は…」

──「求められる素材としてベストを尽くす」には、プロとしてのプライドを感じます。

 

小湊さん:稲葉も声を張る発声をしてきたタイプなので、当初は苦労していたようです。信田は歌手未経験でこれまでのクセがない分、つんく♂さんの教えをそのまま素直に受け入れ、求められているものに応えるべく頑張っていました。

 

逆にRuRuの場合は、彼女の読解力が追いつかない部分を、ある程度自由にやらせることで面白い素材として、つんく♂さんが上手に組み合わせていらっしゃいましたね。

 

私とRuRuは、声質が正反対なんです。それをひとつのグループとしてまとめ上げていくとき、バランサーとしての稲葉がいて、つんく♂さん好みの信田の声がある。

 

だから、つんく♂さんは稲葉と信田を真ん中にして、私とRuRuという素材をどう生かすかを楽しみながらプロデュースしてくださっていたのかなと感じます。

 

── 太陽とシスコムーンの活動期間は1年半と短い間でしたが、そのインパクトは強烈でした。

 

小湊さん:結局、解散することになったのは、すごく簡単にいうとRuRuが独り立ちしたかったからなのですが、彼女がいなかったら、太陽とシスコムーンはここまでハネなかったと思うんです。

 

つんく♂さんのもとで、メンバーがそれぞれ持てる能力を発揮できたとは思いますが、最終的に、太陽とシスコムーンの「かっこよさ」を仕上げてくれたのがRuRuの歌声だったんじゃないかなと。短い期間でしたが、彼女がいてくれて本当によかったなと思います。

つんく♂さんは「兄貴」的な存在であり音楽の師匠

── あらためて、つんく♂さんは小湊さんにとって、どういう存在だったのでしょう?

 

小湊さん:近いけれど、遠い存在です。レコーディングの合間などは、いろんな話をしてくれて「物知りで気さくな兄貴」の雰囲気ですが、音楽に対しては、ものすごくストイックでプロフェッショナル。

 

とくに、当時のつんく♂さんはやりたい音楽が次々にあふれ出て、どんどんアウトプットし続けていないと爆発しちゃうじゃないかと思うくらい。体がひとつだとたりないんだろうな、というような忙しさでしたね。

 

そんなつんく♂さんと一番長くいられるのが、レコーディングのとき。ずっとついて見てもらえるので、私たちにとっては嬉しくてしかたない。

 

音にとことんこだわり、繊細に作りこんでいくさまを見ているのがすごく面白くて、明け方までずっと後ろで見学していたことを思い出します。「お前ら、いい加減にもう帰れ」とよく言われていました(笑)。

 

つんく♂さんの言葉、すべての教えが、宝物のように私のなかに残っています。

 

──「気のいい兄貴分」であり、音楽の師匠でもあったのですね。

 

小湊さん:まさにそうでしたね。よくモーニング娘。のみんなが、つんく♂さんのことを「お父さんのような存在」といっていましたが、私たちにとっては「アニキ」という感覚です。信田なんて4歳差ですしね。

 

太陽とシスコムーンは、つんく♂さんがプロデュースしているグループのなかで、当時、唯一メンバー全員が20代だったので、私たちのことはちゃんと大人扱いしてくれました。ファーストアルバムのレコーディングの後には、みんなで事務所の空きテーブルを囲んでビールで乾杯して。

 

つんく♂さんはお酒が強いほうではなかったようで、すぐに赤くなっていたのを覚えています。いろんな話もしてくださって、そのとき、みんなでチェキ(ポラロイドカメラ)を撮ったのが、すごくいい思い出ですね。いまでもその写真は、メンバーそれぞれが大切に持っています。

 

PROFILE 小湊美和さん

こみなと・みわ。1977年生まれ、福島県出身。民謡小湊流家元の長女として生まれ、幼いころから民謡の舞台に立つ。1998年、オーディション番組『ASAYAN』(テレビ東京)で行われた「つんく♂プロデュース芸能人新ユニットオーディション」に合格。99年に『太陽とシスコムーン』の一員としてデビュー。2000年に解散後は、ソロとして活動している。

 

取材・文/西尾英子 画像提供/小湊美和(つんく♂さん、太陽とシスコムーンメンバー、ハロプロメンバーの写真は小湊美和さんのSNSより引用)