3歳のときに母子家庭になったアインシュタイン・河井ゆずるさん。生活が逼迫し、雑居ビルの屋上にあるプレハブ小屋に住んでいたことも。(全3回中の1回)

誕生日プレゼントって何?

── 河井さんは3歳のときにご両親が離婚されて、母子家庭で育ったそうですね。

 

河井さん:父が買い物に行くと家を出たまま帰ってこなくて、その後、離婚したようです。母は夜スナックで働きに出ましたが、僕が小学校に上がるのを機に、喫茶店をはじめました。

 

── 生活も苦しかったと聞いています。

 

河井さん:地元の少年野球のチームに入っていましたが、友達はみんな新品のユニフォームを着ているのに、自分だけいつも先輩や近所のお兄さんからのおさがりでした。背番号も、僕だけ前の人の番号で。

 

あと、お金持ちの友達の家に遊びに行ったときに初めて床暖を経験したんですけど、床があんなに温かいなんて信じられなかったですね。衝撃でした!僕の家は古いアパートで、壁は土壁だったんです。土壁ってわかりますか?何かの拍子で顔が壁に触れると、土壁のキラキラしたラメのようなものが顔に着くんですけど。友達の家の壁とは違うし、もちろん床暖なんてない。自分の家が人の家と違うと、徐々に感じていった気がしました。

 

── 誕生日やクリスマスはどう過ごされましたか?

 

河井さん:誕生日ケーキは買ってくれましたが、プレゼントをもらった記憶はないですね。母に、友達は誕生日にプレゼントをもらったといっても、「よそはよそ、うちはうち。ほな、あんた中島くんの家で育ててもらい」と即答でした。

 

家族でクリスマスを祝った記憶もないです。小学2年生か3年生のとき、母にクリスマスプレゼントの話をしてみたら、「サンタはおらん。それは外国の話やから」と言われました。それでもちょっと期待したいんです。弟と二人で一番大きな靴下を枕元に置いて寝て、翌朝起きたら、母がその靴下を履いていました。我が家にサンタはいないと確信しました。

「体力の限界!」と突然母が

芸人仲間と楽しいひととき

── 中学、高校時代は、家計のためにアルバイトをしながら学生生活を過ごしたそうですね。

 

河井さん:中学生のときは地域新聞の配達をしながら、母の内職も手伝っていました。高校に入るとバイトを増やして、学用品を買うのに充てていましたが、高校2年の終わり頃、母が営んでいた喫茶店の経営が悪化したんです。結局、店をたたんでパートに出ましたが、同じようなタイミングで母の更年期障害がひどくなって、パートに行けない日も出てきちゃって。

 

その後、高校を卒業してすぐの頃かな。ある晩、寝ていたら母から突然起こされたんです。そして、いきなり「体力の限界!」と、千代の富士の引退会見のときのようなセリフを言われて、「来月はもう家賃は払えないから、家を出ていかなあかん。どうしよう」と告げられて、家を出ることに。

 

── 引っ越し先はすぐに見つかりましたか?

 

河井さん:母が知り合いのつてで、ビルの管理人の住み込みの仕事を見つけてきました。雑居ビルの掃除や水道メーターの検針をするという理由でビルの屋上のプレハブ小屋に無料で住んでいいことに。

 

ただ、人が住むにはとても生活できるような環境ではなかったです。小屋の中にはモップなど掃除道具が置かれているし、床はコンクリートがむき出し。その上にフローリングを敷いて寝ました。

 

最初プレハブ小屋を見たとき、思わず「ここに住むの?うそやろ?」と言わずにはいられなかったのですが、母は真顔でひと言、「ほんまやで」と。夏は暑いし冬は寒い。台風がきたら、ドリフターズのコントみたいに家中たらい桶をおいて雨漏りをしのぐんです。そんな生活を10年たらず続けました。

父を見返したい

相方の稲田さんと

── 高校卒業後は、どう過ごされたのでしょうか?

 

河井さん:家計を支えるためアルバイトを5つ掛け持ちしました。ただ、本当は子どもの頃から芸人になりたかったんです。大阪育ちでお笑いは身近だったし、有名になってお金を稼ぎたい。出ていった父を見返したい気持ちもありました。

 

でも現実はそうはいかない。まずはお金を稼いで生活を安定させないといけないと思いつつ、芸人への思いも諦めきれず、数年間はツラくてまったくテレビを観なかったです。

 

── 22歳のときにNSCに入ったそうですね。

 

河井さん:アルバイトの掛け持ちをしてきたものの、無理がたたって過労で倒れてしまったんです。バイトの数ではなくて収入が高いアルバイトも探しましたがうまく決まらず、途方に暮れていました。

 

でも、ふと考えたんです。自分が本当にやりたいことは何だろうと自問自答したときに、改めて芸人になりたい。そう思った瞬間、その足で難波のNSCまで自転車で走り、その場で願書を書いて提出しました。締め切り前日でした。冷静に考える時間があったら提出できなかったかもしれません。

 

── 芸人としてやっていけるようになった今、当時のことを振り返っていかがですか?

 

河井さん:生活は大変でしたが、途中で芸人になる夢を諦めないでよかったです。34、5歳でアルバイトをやめて、芸人の活動に専念できるようになりました。今は母とも野球観戦に行くこともあるし、生活は穏やかになりました。あのとき、自分の気持ちに忠実に向き合って良かったです。

 

PROFILE 河井ゆずる

大阪府出身。芸人。2010年11月に稲田直樹とアインシュタインを結成。趣味は飲酒、映画鑑賞、特技は英語。

 

取材・文/間野由利子