昨年春に現役を引退したスピードスケート女子の五輪金メダリスト・高木菜那さん。妹の美帆さんは中学3年で五輪に出場し、“スーパー中学生”として脚光を浴びました。周囲から”美帆の姉”と呼ばれることに葛藤もあったという菜那さんが、高木家の子育てを振り返ります。(全5回中の3回)
高木家のルールは「やるなら本気でやる」
── 幼少期にはスピードスケートのほかに、サッカーやヒップホップも習っていたそうですね。最終的になぜスケートを選んだのでしょう?
高木さん:多分、一番センスがあったんですよね。自分のなかでスケートが一番得意だし、向いているという自覚があったのだと思います。ただ、いろんなスポーツをやってきたからこそ「チームスポーツより個人競技のほうが好きだな」とか「誰かに見せるっていうよりタイムで競い合うほうが楽しいな」って気づけたのかなと。
親から「これをしなさい」とか「スケートのほうがいいんじゃない?」と言われたことは一度もなかったですね。自分が進む道を、自分で選び取ってきた経験が、いまの人生にも生きているなって思います。
── 高木家ではお兄さんも含めてきょうだい全員が同じ競技に打ち込んでいましたが、ご両親はどのように子どもたちを見守っていたのでしょう?
高木さん:高木家のルールとして「やるなら本気でやる、やらないならやめる」というのがありました。小さい頃はサッカーやダンスも習っていたぶん、「どっちも中途半端にならないように頑張りなさい」と。「スケートを一年間やっている人よりも劣ってしまう部分はあるから、そのぶん、人より頑張らなきゃいけないよね」とは言われていました。
でも、スケートの結果に対してなにかを言われたことはないです。たとえばレースで負けたときに「次は一番を取るためにもっと練習しなさい」とは一度も言われなかったですね。
「妹じゃなければこんなに苦しまなくてもいいのに」
── 菜那さんのスケート人生には妹の美帆さんの存在が深く関わっていたかと思います。中学3年でバンクーバー五輪に出場し、“スーパー中学生”として脚光を浴びた美帆さんに対して、当時はどのような思いを抱いていましたか?
高木さん:なんで妹なのかなって。一番つらかったときは「妹じゃなければこんなに苦しい思いをしながらスケートをしなくてもいいのに」って思っていました。やっぱりお互いがライバルというか、同じ年代で同じ競技をしているので、レースで一緒に滑ることもありましたし。正直、いろいろとつらかったことはありました。
同じ競技のライバルとして、というより妹だからこそすごく意識していたんだと思います。だって妹じゃない、他のスーパー中学生に負けたとしても、「あぁすごいなぁ」って思うだけじゃないですか?それが妹だからこそ、苦しかったのかなって思います。
── 世間では先に結果を出した美帆さんと比べられることもあったかと思いますが、ご両親は菜那さんに対してどのように接していたのでしょうか?
高木さん:大変だったみたいですよ。当時の私は、妹が注目されていたので「私を見て」という気持ちが強かったようなんです。だから親はなるべく私の言ったことは尊重するようにしていたそうです。「こうしたいと言うのは菜那が訴えている気持ちだから、叶えてあげられること、できることは聞いてあげるようにしていた」と言っていました。
私がオリンピックに出られなかったときと、妹が出られなかったときの対応もそれぞれ違ったと思っています。
きょうだい3人とも個性が強いのですが、一人ひとりに合わせて接してくれたので、両親の手のかけ方に不平等さを感じたことはあまりなかったかな。3人とも同じ種目をやっていたのに仲が悪くなかったのは、親のそういった面も大きかったのかなと思います。
変えられない事実より変えられるものに目を向ける
── ご両親はきょうだい同士を比べることなく、それぞれの個性に合った向き合い方をしていたのですね。周囲からは“美帆さんのお姉さん”として扱われることに葛藤もあったかと思います。当時抱いていた複雑な思いをどのように消化して、みずからを高める原動力のひとつに変えてきたのでしょうか?
高木さん:やっぱり強い妹がいるという事実は変えられないので。変えられない事実に抗うよりも、変えられるものに目を向けるしかないのかなと思うようになりました。
私の155cmという身長もそうですね。どのスポーツも身長が大きいほうが有利かとは思いますが、だからといって身長が低いことを負けた言い訳にして頑張らないのは違うのかなと。身長が小さいこと、妹に負けているという事実を変えることはできないので、そこにばかり執着するのをやめようと思ったんです。
── 現役時代、美帆さんとは姉妹であると同時にライバルでもあり、団体戦でともに戦う仲間でもあったかと思います。ご自身が競技を引退されて、美帆さんとの距離感はまた変わりましたか?
高木さん:もともと仲がいいですし、引退してからもずっと仲がいいです。ただ、私が競技者として戦わなくなったことで、お互い話せることやできることがすごく増えたから、今のほうが「仲良し」だと認識されているのかもしれません。私が競技者じゃなくなっただけで、妹との関係性はずっと変わっていないと思っています。
兄もいるので、姉妹で、という特別な意識はありませんが、ずっと仲良しでいたいですね。
PROFILE 高木菜那さん
1992年生まれ、北海道幕別町出身。7歳から兄の影響でスピードスケートを始めた。高校卒業後は実業団チームに所属、14年ソチ五輪で日本代表に初選出された。18年平昌五輪では、女子団体パシュートで妹・美帆らとオリンピックレコードを記録、新採用のマススタートと合わせて、日本女子史上初の五輪同一大会での2冠に輝いた。22年北京五輪では女子団体パシュートで銀メダルを獲得。同年4月に現役引退。現在はテレビやラジオに出演するほか、各地の講演会に登壇するなど多方面で活躍している。
取材・文/荘司結有 画像提供/高木菜那