2022年北京五輪・スピードスケート女子団体パシュートで銀メダルを獲得し、同年4月に競技から引退した高木菜那さん。充実した競技生活から離れた直後は、「スケートに戻りたい」と思うこともあったと言います。(全5回中の1回)

スケート以外の世界に飛び込んでみたい

── 北京五輪を終えた昨年4月に現役引退を表明しました。スピードスケート女子日本代表として世界に挑むなかで、いつ頃から競技人生の終止符を意識していたのでしょうか?

 

高木さん:スピードスケートは元々、選手寿命が長いスポーツではなかったので、そこまで長く続けるつもりはなかったんです。今ではだいぶ伸びていますが、私たちの先輩だと30歳になる前に辞めていく選手が多くて。私も本当は平昌五輪を終えたら辞めるつもりでした。

 

── 平昌五輪では、スピードスケート女子団体追い抜きとマススタート、2つの金メダルに輝きました。ひとつの大会で複数の金メダル獲得は、日本女子初の快挙でしたね。平昌五輪で辞めるつもりだったのを、続けることにしたのはなぜだったのでしょう?

 

高木さん:辞めようと思ったというより、辞めてもいいくらいすべてを賭けていたというほうが合っていますね。どの五輪にも「もうここで終わっても後悔しない」という気持ちで臨んでいました。でも平昌までの4年間は怪我に苦しんだ時期もあって、すべてを出しきれたとは言いきれなかったので、次の北京まで続けようかなと思ったんです。

 

スピードスケート日本代表選手として活躍した高木さん

── 引退会見では「第二の人生を考えたときにすごくワクワクした」ことを引退を決めた理由のひとつに挙げていました。スピードスケートにすべてを捧げながらも、心の片隅ではセカンドキャリアについても意識を向けていたのでしょうか?

 

高木さん:そこまで深くは考えていませんでした。ただ、もちろんスケートが嫌いなわけではなかったけれど、自分の人生は一度きりなので、スケートで終わる人生ではなくもっと違うことをしてみたいなっていう気持ちが昔からあったと思っていて。

 

どの業界もそうかもしれませんが、スポーツの世界って狭いので、知らないことってたくさんあるんですよね。ひとつの世界にずっととどまるのも決して悪くはないのですが、見たことのない、やったことのない世界に飛び込んでみたいという気持ちが強かったのかなと思います。

引退直後は「スケートに戻りたい」と思ったことも

── 現役引退を表明した時点では「今後、何をしていくかはまだ明確には決まっていない」とお話しされていましたね。

 

高木さん:引退を発表する直前までずっとスケートに打ち込んでいたので、じゃあすぐに「次のことを」とは考えられなかったですね。いったん落ち着いて考える時間をつくりたくて。もしその間にスケートに戻りたくなったら戻ってもいいかなとも考えていました。

 

── 実際に「スケートに戻りたい」という気持ちになったことはあったのでしょうか?

 

高木さん:何回かありましたね。練習はかなりつらかったけれど、一日一日の充実感というものがすごく大きかったとあらためて感じることもあって。もう一回やりたいなぁと思うこともあったのですが、そこまではいかず…といった感じでした。

 

── 引退したトップアスリートのなかには、競技ならではの刺激から遠ざかることに“空白感”を覚える方も少なくないかと思います。菜那さん自身はそうした寂しさを感じることはありましたか?

 

高木さん:うーん…今まで休みなくトレーニングしていたので、3日休みが続いてしまうと「何をして過ごせばいいんだろう」って思うことはけっこうありました。「スケートをやっている時間ってすごく充実していたな」と思ったり、「何してるんだろう自分」って後ろ向きな気持ちになったり。スケートが抜けた穴を埋める手段がない、と感じることはありました。

 

引退直後は「スケートが抜けた穴を埋める手段がない」と感じたことも

空白を埋めてくれた大学院進学と仕事

── 時間的な空白が生まれるなかで、その穴をどのように埋めていったのでしょう?

 

高木さん:引退した去年は空いている時間がもったいないとすごく感じていたんです。でも、今年から大学院に通い始めて、仕事じゃなくても毎日外に出る機会は増えていったので「家から出ずに何やっているんだろう」と思うことは減ったのかな。

 

去年だったら「スケートに戻ろうかな」「復帰したらどうなるかな」とか後ろを振り返っていたのですが、もう絶対に戻ることはないので、それよりも「もっと今を充実させるにはどうしたらいいんだろう」と前を見るようになりました。

 

ありがたいことにいろいろなお仕事をいただいているのですが、まだ自分から「これがやりたい!」と動き出すことがなかなかできていないので、自分がやりたいことをもっともっと見つけられるように動き出さなきゃなと思っています。

 

腰回りのカッティングがおしゃれ!大学院での勉強と仕事で充実した日々を過ごす高木さん

── 現在はラジオパーソナリティや講演会活動など多方面で活躍されています。現役時代と比べて、ご自身を取り巻く環境はどのように変わりましたか?

 

高木さん:スケートをやっているときはほぼ同じメンバーでずっと行動していて、いつでも話せる相手がいて、いろんなことを共有できる仲間がいたのですが、引退した直後は毎回初対面の方とご一緒する現場ばかりでした。ただ、昨年秋にラジオのレギュラー出演(TOKYO FM「From Athlete!」)が決まってから、毎週仕事で必ず会える人ができたのはありがたかったですね。皆さんでいうところの会社の同僚のような、“仕事仲間”ができたのはうれしいなって思います。

 

PROFILE 高木菜那さん

1992年生まれ、北海道幕別町出身。7歳から兄の影響でスピードスケートを始めた。高校卒業後は実業団チームに所属、14年ソチ五輪で日本代表に初選出された。18年平昌五輪では、女子団体パシュートで妹・美帆らとオリンピックレコードを記録、新採用のマススタートと合わせて、日本女子史上初の五輪同一大会での2冠に輝いた。22年北京五輪では女子団体パシュートで銀メダルを獲得。同年4月に現役引退。現在はテレビやラジオに出演するほか、各地の講演会に登壇するなど多方面で活躍している。

 

取材・文/荘司結有 画像提供/高木菜那