体操競技で味わった挫折
── オリンピックを目指すなかで、ケガに見舞われたと伺いました。
福尾さん:大学生のときにロンドンオリンピックを目指していたのですが、そのタイミングで肩のケガをしてしまって。手術をしてリハビリ期間が1年間。競技に復帰できず、ひたすらリハビリとトレーニングを続けたのですが、これは結構きつい時間でした。メスを入れているので、これまで経験したことがなかった慢性的な体の痛みと向き合う日々でした。
── ショックは大きかったと思います。
福尾さん:当時は相当、落ち込みました。一緒にやってきた仲間や憧れの方がオリンピックの代表に選ばれて。夢に見ていた舞台を間近に見ていたなかで、自分は見る側、応援する側だった。悔しいですが、出場できた選手は結果を残せた方々で、ケガをしてしまってそこに立っていないのは自分の実力。でも、なんでダメだったかを考えるより、選ばれた方には日本のために頑張ってほしいという思いでした。
── そこからどうされたんですか。
福尾さん:通っていた大学の先生から、「挫折を経験したからこそ伝えられることがあるから、ここから勉強して指導側に回るのもいいんじゃないか」と勧めていただいて。嬉しいことに学生コーチという形で、リハビリ期間中に試合会場にも連れて行ってもらえました。試合には出ないけれど、選手を支える立場を経験してみたらどうかと。
やはり自分が出たい気持ちもあったので、「こちらに回らなくてはダメなのか」という思いもありましたけど、頑張っている選手を間近でサポートできるやりがいも感じていました。日本のトップアスリートを支えられるという環境もあって、指導の道にチャレンジしました。
オリンピックに出場できる選手は本当にひと握りで、出られない人の方が圧倒的に多いんです。いろんな経験を経て辿り着かなかった人もいれば、体を動かす楽しさだけで続けてきた人もいる。背景はさまざまですが、自分のような経験をした人をサポートして、何か伝えられることはないかなと思って、そこから指導の道の勉強を始めました。
── 指導の難しさはどんなところにありますか。
福尾さん:技術を教えるだけではないことですね。選手も先生もオリンピックで金メダルを取りたいという同じ夢を持っているんですけど、そこに辿り着くまでの過程は違うんです。選手としてはこういう練習をした方が近づけると思っている一方で、先生はこういう練習を取り入れたいと思っている。どちらもゴールは同じなんですけど、歩幅を合わせていく難しさはあります。自分の思いがだんだん強く出てくる、大学生という年齢を対象にしているのも大きかったと思います。
── 指導者として邁進するなか、『おかあさんといっしょ』の体操のお兄さんにはどう結びついたのでしょうか。
福尾さん:実は中学1年生の頃に、先ほどお話ししたオリンピックの夢のほかに、体操のお兄さんになりたいという夢もあったんです。親族に保育の仕事をしている人がいて、小さいときから子どもたちと一緒に遊ぶ機会がありました。
小さいお子さんを対象にしている番組なので、もしかしたら中学生が番組を観ることはあまりないかもしれないのですが、『おかあさんといっしょ』を中学生の頃に子どもたちと観る機会があって。
番組を観て、自分がしてきた体操で体操のお兄さんという職業があることを知りました。いざ番組が始まると子どもたちみんなが釘付けになる姿を見て、「なんてヒーローなんだ!」と思いましたね。いつか体操のお兄さんにチャレンジしたいという気持ちが心の中でずっとありました。お話をいただいてオーディションを受けたのですが、話を聞いたときは飛びつきました。迷いはいっさいなかったです。
── 合格したときはいかがでしたか。
福尾さん:体操競技を続けるなかで経験した辛かったことや挫折もすべて報われた感じがしました。とにかく嬉しかったです。僕の人生の軸は一貫して体操と子どもたちというキーワードで構成されていて、それがあるから今があります。楽しさで始めた体操で、競技としてオリンピックを目指し、その後、体操のお兄さんとしてパフォーマンスをして。表現は変わっていきましたが、これからもこの軸を大切に新しいチャレンジを続けていきたいです。
PROFILE 福尾誠さん
1992年1月11日生まれ 東京都出身。2019年4月より『おかあさんといっしょ』第12代 体操のお兄さんとして4年間活動。2023年4月をもって同番組を卒業。ミュージカルコンサート「だいすけお兄さんとまことお兄さんの世界迷作劇場2023~24」全国50か所にてツアー中。「Family Dream Live 2023」出演。
取材・文/内橋明日香 写真提供/coseiro