東日本大震災の復興支援を続ける俳優でタレントのなすびさん。地元・福島や東北のために取り組んだ活動は最初、非難の声が多かったそうです。活動を続ける理由を伺いました。(全3回中の2回)
ふるさと福島のために
── 震災後から被災地のボランティア活動をしているそうですね。
なすびさん:震災後、津波被害のあった福島県沿岸部のいわき市で瓦礫撤去や側溝の泥出しなどの作業をしました。いわき市には子どもの頃に住んでいたこともあったのですが、昔の景色とはまったく違っていて。当時、瓦礫もまだ積み上がっていましたし、その光景を見て「僕ひとりにできることなんてあるのかな」という無力感で打ちひしがれました。でも、やらないよりは、何か少しでも力になりたいという思いがあって。
震災前に地元のテレビ局で県内59市町村を回る番組を担当させてもらっていたんですが、どこに行っても、「なすびさん、福島出身だよね、頑張ってね」とか「応援してるよ」というあたたかい声をかけていただいていたんです。自分にとってふるさとの福島は大事な場所だと再認識できましたし、さらに盛り上げていきたいと思っていたところに震災が起きました。
その番組で、海辺にあった食堂の取材をさせてもらったので、地元の方に店がどうなったか聞いたんです。そしたら、「あそこね、残念ながら津波で流されちゃったよ」って。でも、不幸中の幸いで店の方は避難しているとのことでした。避難先に伺ってお会いしたら、「なすびちゃん来てくれたの、ありがとう!」ってお店の方が涙ながらに抱きついてくださって。
でも、「取材で一緒に撮った写真とかサインとか流されちゃって、ごめんね」と言われました。僕は「そんなのすぐ書きますし、写真もまた撮りましょうよ」と言ったんですが、時間が経っても僕との思い出を大切にしてくれていたと思うと、自分にできることは大きさに関係なく、なんでもしようと思いました。僕で笑顔になってくれる人がいるなら、って。
── 地元の方からどんな声をかけられましたか。
なすびさん:とある方から、「こうやってボランティアでしてくれてるのもありがたいんだけど、知名度があるんだから、もっと違うことができるんじゃないの」と言われたことがあったんです。
なるほど、そういう考え方もあるのかと思いました。ボランティアとしての活動も大切ですが、福島や東北の情報発信でもっとできることがあるかもしれない。災害の復興は月日が経つにつれてニーズの変化もあると思うので、風化を防ぐとか、風評被害払拭のために僕が旗を掲げることで力になれるのではと思いました。
僕ができることって何かなと考えていたときに、高松の方とご縁があって、震災があった年の8月に四国でお遍路をしたんです。「四国からも福島を応援することできないですか」とお話をいただいて。なんでもできることをしようと思っていたのと、鎮魂の祈りと復興再生を願いながら、実際にお会いした人に話をすることで風化も防ぐことができるんじゃないかとの思いで挑戦しました。
それまで長距離を歩いたことはなかったんですけど、17日間かけて四国八十八ヶ所を巡りました。そのとき、一緒についてくださっていた方が、「山登りとか向いているんじゃない?」と言ってくださって。普通の方が5〜6時間かかるところを僕は2〜3時間で歩けていたんです。
これもひとつのきっかけになって、福島のために何か命懸けで取り組むことで届くメッセージがあるんじゃないかと思うようになりました。せっかくなら、世界一のエベレストに挑んでみようと。登山未経験者の僕がエベレストに挑むことで、見てくださる方が新しいことに挑戦するために勇気を持って一歩を踏みだすきっかけになってほしいという思いでした。