16歳でデビューした井上晴美さん。グラビアモデルとしても大活躍している最中、突如、スキンヘッドとヌード姿が話題に。井上さんが決意した理由とは。(全4回中の2回)
根性が試されているような気がして
── 16歳でデビューされてグラビアでも活躍。その後、スキンヘッドの写真も話題になりましたが、こちらはどういった経緯だったのでしょうか?
井上さん:幻冬舎から広告のお話が来ていて、幻冬舎は毎年インパクトのある広告を出しているから、当時の私の事務所の社長と何ができるだろうって話をしていたんです。せっかくなら誰もやらないような奇抜な感じもいいねと話が出て、「晴美ちゃん、坊主とかどうかなって」と聞かれて、私も「いいんじゃない」って。そのまま決まった感じです。
── 坊主になることに迷いはなかったですか?
井上さん:多分、プライベートで坊主になったら周りに相談したほうがいいと思うんですけど、仕事だったら坊主も仕事だし。性格なのかな、突拍子もないことが好きなのかもしれません。
あと、根性が試されてるような気もしたんです。「できる?」って聞かれて「できない」って言うのはカッコ悪いなって思ったし。勢いもあったかもしれません。
鏡は見ないままカットが進み…
── さらに、坊主でヌードの写真集も発売されました。
井上さん:ヌード写真集のお話をいただいて、カメラマンは篠山さんだし、ヘアメイク、スタイリストさんも信頼できるメンバーだったので、素晴らしい作品になると思いました。ぜひやりたいと思いました。
年齢とともに体型も崩れていくでしょうし、一番いいときに撮ってもらおうと。当時、お尻に届くくらいまで髪の長さがあって、カットするところも全部雑誌で撮影してもらいました。
── ちなみに髪の毛は一気にカットされたのでしょうか?徐々にとか、真ん中からとか…?
井上さん:そのときのヘアメイクさんにお任せだったから、今、自分がどういう状態なのかわかりませんでした。白バックのスタジオで、カットが終わったらそのまま撮影する流れでしたが、自分から撮影が終わるまで鏡は見ない。手鏡も持たないって伝えていました。一度やるって決めたので、途中で鏡を見て迷いが出ても嫌だなって思ったんです。
いざ、カットがスタート。ハサミでサクサク切っていく音が聞こえると、少しずつ頭が軽くなっていって、あぁ、髪の毛って重かったんだなって感じたり、次第にバリカンの音がブイーンって聞こえると、「あ、バリカンきた!」ってなんとも言えない気持ちになったり。最後はカミソリで剃るんですけど、剃るときにジョリジョリジョリって聞こえてきて、「ワァー!」って思いました。
── 坊主になって、自分の姿を見たときはどう思いましたか?
井上さん:生まれ変わったような気持ちですね。みんな頭なでるんですよ(笑)。触らせてってみんなが頭を触りにきて。あと、頭がスースーしましたね。帽子でもニットでも被せてないと寒かったので、髪の毛って暖かいんだなって思いました。
── いざ、坊主の写真が世に出たとき、ご家族や友人の反応はいかがでしたか?
井上さん:周りにはいっさい言ってなかったんですけど、「またやってくれたな…」って言われてました(笑)。あとは「え?どうしたの?」とか。どうしたのじゃないよねって。びっくりされたけど、もう出ちゃったものは出ちゃったので。
ファンの方たちは、男性ファンからは「いいね!」って褒めてくださる方も入れば、「なんで坊主だ!」って。「坊主じゃないときにヌードが見たかった」といった声もたくさん聞きました(笑)。女性のほうが、芸術的な感じで見てくださる方が多かったような気はします。
── お仕事の影響はありましたか?
井上さん:いやぁ、ずっと仕事できなかったですね。写真集をヨーロッパで撮って、その広告とかポスターが出るまで、日本に帰国せずにしばらくヨーロッパに残ってました。ヨーロッパはスキンヘッドの女性も結構いたので、特に違和感を感じなかったです。
── ご自身で今、振り返ってあの姿を見てどう思いますか?
井上さん:よかったです。すごく綺麗に撮ってもらったし、あのときあのタイミングで撮ってもらってよかったなって思います。
PROFILE 井上晴美さん
1974年生まれ。熊本県出身。1991年16歳で芸能界入り、ドラマ・映画・舞台など数多くの作品に出演。2005年に結婚し、現在は3児の母。家族との日常をインスタグラム(@harumi_inoue_)でも発信中。
取材・文/松永怜