高校生のときにグラビアデビューした佐藤江梨子さん。水着を着る仕事が続くなか、多忙なスケジュールやプレッシャーなどと、どう向き合っていたのでしょうか。(全4回中の2回)
数ある事務所の中からイエローキャブに入った理由
── 佐藤さんがイエローキャブに入ったときは、すでにイエローキャブの人気も知名度もあったころでしょうか?
佐藤さん:すごくありましたね。当時、野田社長もメディアにたくさん出ていましたし、私が事務所に入る前に、山田まりやさん、雛形あきこさん、細川ふみえさん、かとうれいこさんとか、いろいろな方が活躍されていました。
── 元々いくつかの事務所からスカウトがあったと聞いています。その中でイエローキャブを選ばれたのは、何か理由があったのでしょうか?
佐藤さん:私は身長が173㎝と高いほうだし、あんまりイエローキャブの雰囲気じゃないだろうなって思ってたんです。でも、野田社長が自分に目を向けてくれてすごく熱意も感じたし、他の事務所に比べてタレントさんの数も少ないので活躍しやすいかなぁって思ったり。実際、所属すると、お仕事がどんどん入ってきました。
── 水着を着るお仕事も多かったと思いますが、水着に関しては特に抵抗もなかったですか?
佐藤さん:オーディションでも水着審査があったし、先輩方の水着姿も見ていたので、とくに違和感なく撮影にもいどめました。
ただ、水着の仕事は時々ある程度かと思っていたら、仕事のほとんどが水着でした。たぶん、一番グラビアを頑張っていた5年くらいは、365日のうち360日くらい水着を着ていたんじゃないかな。しかも、撮影が1日に1つ、2つじゃなくて、1日8つとかあって。ジャンルもキャンペーンガールのようなお仕事から雑誌や週刊誌、写真集などいろいろ。常にニップレスやTバック、アンダーショーツを常備してましたね。あのころは、ワーってなるほど忙しかったです。でも、グラビアの印象が強すぎたのか。当時は全然モテなかったです(笑)。
── グラビアに出ている方はモテそうですが…?
佐藤さん:彼女にするにはちょっと敬遠されちゃうんですかね?わからないけど。ただ、自分でも仕事に対してストイックだったし、仕事が趣味みたいな感じで全力で頑張っていました。ハードな撮影が続いても、もっと有名になるんだ!って、どんどん突き進んでいったと思います。
もっと相手を喜ばせなきゃ…
── グラビアの撮影で印象深かったことはありますか?
佐藤さん:今と違っていろいろな国にも行けた時代でした。写真集の撮影では、イタリアとかハワイ、ベトナム、タイ、インド、フィリピン、韓国…他にもたくさん行きましたね。グアムやサイパンも弾丸スケジュールを組んで、空港のトイレで服の下に水着を着て、そのまま現場に向かったこともありますよ。オーストラリアに行ったときは、イルカに乗って撮影しました。イルカの動きによって、海の上に上がったり沈んだり。こっちもイルカの動きに合わせて息を吸ったり止めたりして。
── 写真チェックは、ご自身でもされていたのでしょうか?
佐藤さん:私はほとんどお任せでしたね。下着が透けてないか、下乳が出てないか、足が開きすぎてないかなど、いろいろチェックする部分もあるんですけど、基本ノータッチでした。自分が見ていいなって思うものと、他人の目が入るとまた感じ方も違うでしょうし。その後、グラビアを始めてずいぶん後になってから、自分でもチェックするようになっていきました。
── 当時のグラビアのお仕事を振り返ってどう思いますか?
佐藤さん:もっと頑張らなきゃ。もっと相手を喜ばせなきゃ…っていつも必死でした。どんな仕事でもそうかと思いますが、褒められて伸びる人と、叱咤激励されて伸びる人がいますが、私は後者だったと思います。決して器用なタイプでもないし、自分の未熟さに落ち込むこともよくあったし。今でもそうですけど、そんなに自分に自信があるほうではないんですよ。写真を見ると、「自信満々!」とか「女を謳歌してます!」みたいな写真もあるんですけど、常に自分の気持ちと葛藤してましたね。基本的に自分の容量が少ないから、すぐにいっぱいいっぱいになっちゃうんですけど。
それでも、そのときはそのときで精一杯だったと思います。あのときの自分があって、今の私に繋がっていますし、過去の自分にもとても感謝しています。
PROFILE 佐藤江梨子さん
高校在学時、1999年に『大磯ロングビーチキャンペーンガール』にて選出。以後、グラビアモデルのみならず映画・テレビ・舞台等・女優として幅広く活動中。
取材・文/松永怜