今春、宝塚歌劇団を退団した君島憂樹さん。幼少期からの夢を叶えた君島さんが宝塚音楽学校の合格のために取り組んでいたこととは──。家族のサポートについて伺いました。(全2回中の1回)
タカラジェンヌは祖父 君島一郎の夢?
── 小さい頃はどんなお子さんでしたか。
君島さん:いつも外で遊んでいるような、活発な子どもだったと思います。幼稚園では動くのが好きでいつも走り回っているような感じだったのですが、一方でディズニーのプリンセスにも憧れている子どもでした。シンデレラが大好きでドレスもよく着ていたと思います。
── 宝塚の舞台を見たのは幼稚園のときだったそうですね。
君島さん:はい、4歳のときに生で宝塚の舞台を観たときに、幼いながらに大きな衝撃を受けました。そしてそれ以降、寝ても覚めてもずっとタカラジェンヌになることを夢見ていました。
歌詞の意味はわからなくても、小さい頃から歌を口ずさんでいましたね。母から聞いた話ですが、私が生まれる前に亡くなった祖父の君島一郎が「孫が生まれたら宝塚に入って欲しい」ということを言っていたそうなんです。
── 夢が叶ってきっとお祖父さんも喜んでいたことでしょうね。狭き門として有名ですが、合格まではどんな対策をされていたんですか。
君島さん:私は二度目の受験で合格したのですが、一度目が不合格になってから、1年間でしたが高校に通ったのが大きかったと思います。小さい頃からバレエは習っていましたが、高校生活を送ることで他の物事にも視野が広がったので、1年間と短い期間でしたが高校に行って良かったと思っています。
── 学生生活と受験対策の両立は大変なことだと思います。
君島さん:そうですね。毎日学業とレッスンで忙しかったのですが、学校の行事にもしっかり参加して、学生生活も楽しめたことが良かったと思います。今でも繋がりがある友人もできましたし、とても理解がある素晴らしい先生にも恵まれました。
受験の直前には学校との両立も大変になってきたのですが、ラストスパートは受験に専念させてもらえました。私の夢を支えてくださったことに感謝しています。
宝塚受験で「家族でダイエット」
── 受験に向けてコンディションを整えていくことも必要かと思いますが、ご家族からはどんなサポートがありましたか。
君島さん:レッスンが遅くなると迎えに来てもらっていましたし、成長期だったのでダイエットには苦労しました。私ひとりでは可哀想だと、家族みんなでダイエットにも協力してくれました。もしかしたら私より、両親の方が痩せてしまったかもしれません(笑)。
── ご家族で!食生活の調整がメインでしょうか。
君島さん:そうですね。節制もしながら、レッスンで体力が落ちないように工夫した食事も摂っていました。鶏のささみに、野菜たっぷりのスープなど、脂肪になりにくい食材を多く摂るようにしていました。母の手作りの料理のおかげで、思春期特有のニキビなどには悩みませんでした。とても感謝しています。
10代でも疲労回復という意味で、食材やサプリメントからビタミン類も意識して摂っていましたし、父お手製の野菜とフルーツのプレスジュースも飲んでいました。
── お父さんも作られるんですね。
君島さん:野菜が苦手だったので、野菜中心のプレスジュースは正直気が進みませんでしたが、夢を実現するために頑張って飲んでいました。
── 同世代の子たちはスイーツなども好きなお年頃ですね。
君島さん:実は内緒でこっそり食べていた時もありました(笑)。でもそのぶん、レッスンは頑張りました。
── 二度目の受験で見事合格されましたが、1年間どういう気持ちで過ごしてきたのでしょうか。
君島さん:中学卒業のタイミングで受験して不合格だったときは、受け止めるのに時間がかかるかなと思ったんです。合格発表のあとのことは、正直あまり覚えていなくて。
そのあと1日、家に引きこもったのですが、次の日からは「合格するためにまた頑張らなくちゃ!」と気持ちがリセットされていました。落ち込んでいる期間は短かったのですが、それも家族は見守ってくれていました。私の意思で高校に進んで再挑戦することにしたのですが、家族は私の決断に対して背中を押してくれていました。
── 二度目の挑戦で見事、合格されました。
君島さん:一度落ちている分、合格発表のときは自分の番号が見えないくらいに緊張して、見るのが本当に怖かったです。自分の番号を見つけたときは、人生で一番嬉しい瞬間でした。
両親と、「入れていただけたことに感謝だね」という話をしました。音楽学校に入学するにあたって寮に入るので、合格発表のあとからは準備に追われて怒涛の日々でした。
寮生活で感じた家族のありがたみ
── 寮生活が始まって、生活が一変したと思います。
君島さん:寮生活は慣れるまで時間がかかりました。最初は宝塚のしきたりを覚えなければならない時期なので、朝から晩まで毎日必死でした。
例えば、入学式の前日に制服の袖にスナップのボタンを自分でつけるのですが、裁縫も正直、家庭科の授業でしかやったことがなかったんです。「どうやってつけるんだろう?」と思って、裁縫が得意な同期の真似をしていました。
── 生活面も含めて全部自分でするんですね。
君島さん:はい。劇団に入ったら裁縫もたくさんするので、その練習だったんだろうと思うんですが、当時は大変でした。
劇団に入ると、例えば娘役の髪飾りを自分で作ったり、自分の頭に合うように手直しをしたりもします。お衣装はお衣装さんがしてくださるのですが、お化粧で汚れないようにガーゼをつけるというようなことは自分で行います。音楽学校時代にその習慣は身に付きました。
── ご家族と離れてみていかがでしたか。
君島さん:入学して間もない頃はあまり連絡もマメにできていなかったので家族は心配だったと思います。夏頃になってだんだんホームシックになりました。1週間に1回、お休みの日があるんですが、最初の頃は朝6時に寮を出て、門限は18時だったので本当に束の間の休日という感じでした。実家から通っている子たちが羨ましかったです。
お休みの日に母に会うと、その帰り道がすごく寂しかったですね。母の日に同期全員でそれぞれのお母さんに電話をしたことがあったんですが、みんな同じように寂しい思いをしていたと思います。
母は食事を作って送ってくれていたんですが、調理したものが入っていて、レンジで温めるだけで食べられるようなものを送ってもらっていました。
── 母の愛ですね。
君島さん:劇団生になって食事を作るのも洗濯をするのも全部自分でするようになって、今まで当たり前にしてもらっていたことがありがたいことだったんだと気づきました。
── 宝塚歌劇団で舞台に立っていた日々を振り返ってみていかがですか。
君島さん:ありがたいことに1年先までのお仕事も決まっていたのですが、でも当時はお仕事というより部活のような感覚に近かったです。私のなかでは学生時代で時計が止まっていたように思います。命をかけて舞台に臨んで、日々そこに向けて自分を調整していく。
止まれない列車に乗っているような感じで、ずっと走り続けてきたように思います。でも、振り返ってみると、青春をかけてかけがえのない時間を過ごさせていただいたと思っています。
PROFILE 君島憂樹さん
1997年東京都生まれ。2016年宝塚歌劇団に第102期生として入団。同年星組公演「こうもり」「THE ENTERTAINER!」で初舞台。その後月組に配属。2018年「エリザベート」で少年ルドルフ役に抜擢。2019年8月娘役に転向。2023年4月「応天の門/DeepSea」東京公演千秋楽で宝塚歌劇団を卒業。現在はTV・雑誌・web等で美容やライフスタイルに関する発信を行う。
取材・文/内橋明日香 写真提供/君島憂樹