2度のがんを経験したフリーアナウンサーの吉川美代子さん。告知された後の状況や治療について、また、結婚観や心のパートナーとの別れについてもお話を聞きました。(全4回中の4回)

女性生殖器がんの1%程度

── 吉川さんはがんと診断されて、2度の闘病生活を経験されています。

 

吉川さん:私は両親をがんで亡くしていたので、ウチはがん家系だというのは分かっていました。ですから、中年を過ぎてからは、健康にはいつも気を使っていました。少しでも違和感があれば必ず検査。そしてあるとき、がんと診断されたんです。

 

── 吉川さんが58歳のときですよね。

 

吉川さん:最近は医療も進んでいるので、がんは早期発見すれば対処法はいくらでもあります。ただ、問題は見つけること。がんはできる場所によって発見が難しいものもあるんです。私は膣がんといって、珍しいがんだったので、医者も判断がつかない場合が多く、手遅れになることが多いのです。最初のクリニックの医師は私の違和感があるという訴えに「年のせい」と言いました。ただ、身体に違和感があったので、やっぱりおかしいと思ってセカンドオピニオンで診てもらって、そこでがんが見つかったんです。

 

── 膣がんは非常にまれながんで、女性生殖器がん全体の1%程度の頻度。検査して発見するのが難しいんですよね。

 

吉川さん:私の場合は、違和感を放置せずにいたのでたまたま見つかりましたが、あのままでいたらどうなっていたことか。セカンドオピニンの先生から言われたのは「あと半年遅かったら、骨盤内の臓器をとっていた」と。がん家系を自覚していたのでがんという言葉にはある程度慣れていましたし、早期発見だったので簡単な手術で済むとのことでした。

 

そして、診察を終えて自動精算機に行ってお支払いをするために、診察カードを機械に挿入しようとしたら、入らない。何度やってもダメ。もしかして違うカードかと手元を見たら、手がブルブル震えていて入らなかったんです。頭では冷静なつもりだったんですが、どうやら身体は反応していたみたい。すごくショックだったんでしょうね。

 

── その後の闘病生活はどうだったんですか?

 

吉川さん:闘病生活といっても、抗がん剤の影響は人それぞれなんですよね。私は髪が抜けませんでしたし、吐き気もなし。ただ、めまいがありました。それほど身体に影響がでなかったので、仕事には意外と早く復帰できました。その後も経過を観察して、5年後には再発の危険もなくなり、通院も終えました。ところが、それから3年後に全く別のがんが見つかりました。大腸がんでしたが、これも初期だったので内視鏡手術で簡単に済みました。ですから、毎年大腸の内視鏡検査は続けています。