「ダンシング・ヒーロー」が大ヒットした荻野目洋子さん。しかし、純粋に歌が好きで芸能界に入ったつもりが、熾烈な賞レースやプレッシャーに、息苦しくなった時期もあるといいます。

 

また、「荻野目ちゃん」と苗字で呼ばれることに対して、本当はどう思っているのでしょうか。

「公民館で民謡を…」ただただ歌が好きだった幼少期

── 子どもの頃はどんなお子さんでしたか?

 

荻野目さん:わりと引っ込み思案でしたね。家で1000ピースのパズルを完成させたり、千葉や埼玉の自然があるところで育ったので、虫の観察をしたり。とにかく地味〜な作業が大好きな子どもでした(笑)。

 

── 84年に15歳でデビューされましたが、芸能界はアイドル全盛期の頃だったと思います。荻野目さんは、どのような立ち位置だったのでしょうか?

 

荻野目さん:もともとアイドルを目指したことはなくて。歌を歌うことが好きで、幼少期は町の公民館で民謡を歌うことがあったんです。前に出て行くタイプではないけれど、歌ってるときの自分はイキイキと自信が持てたというか、楽しい気持ちになれて。意外と物おじしなかったのもあって、そのまま歌を歌う仕事につけたらいいなって漠然と思っていました。それが、デビューして蓋を開けてみたら、アイドル全盛期だったので、「ワっ…」て、戸惑いのほうが大きかったですね。

 

── 思っていた世界とは、少し違ったというか。

 

荻野目さん:当時は、どのタレントさんにも事務所の人間とか、レコード会社の人がたくさんついていて、競争の激しい時代だったんです。歌番組も多かったし、音楽の賞レースも盛んで、常に戦いのようなプレッシャーもありましたし。ただ歌が好きで、純粋な気持ちで芸能界に入ったけど、現状はもっとタフじゃなきゃいけないんだなって。

 

それに、私たちタレント同士は仲がいい、悪いはないんですけど、周りのスタッフがけっこう鼻息が荒かったというか。今考えたらしょうがないんですけど、ちょっと息が詰まるような状況は、たくさんありました。

 

── デビュー2年目で「ダンシング・ヒーロー」が大ヒットしました。初めて曲を聴いたときはどう思いましたか?

 

荻野目さん:それまでの曲のタイプと全然違ったので、まず歌いこなせるかなって。

 

── イントロの振りつけからインパクトあります。

 

荻野目さん:当時は振りつけの先生が曲ごとにいらっしゃって、先生は優しく教えてくれて、一生懸命覚えたんですけど。それよりも事務所のスタッフのほうが厳しかったですね。

 

「もうちょっとエイトビートじゃなくて、16ビートを感じられるようなビート感を出しなさい…!」って言われても、当時の私はダンスが全然上手くなかった。今でもダンスが得意だと思ったことは一度もなくて。たまたまダンスがきっかけで話題にはなりましたが、自分のなかではうまく踊れなかったし、苦手意識のほうが強かったです。ただ、「ダンシングヒーロー」が売れてから、一気に忙しくなっていきました。

六本木や麻布には…

──「ダンシングヒーロー」の大ヒットに続き、その後も「六本木純情派」など、華やかな名曲を発表されています。80年代、90年代は、芸能人の方は、六本木や西麻布などきらびやかな場所に行かれる方も多かったような、あくまで勝手な印象がありますが、荻野目さんもそういった場所に行かれることはよくあったのでしょうか…?

 

荻野目さん:(笑)。当時は私が10代後半だったし、仕事が忙しくて遊ぶ時間は全然なかったですね。20代後半になると、いちばん忙しかったピークのときから少し落ち着いてきて、やっと友達とご飯を食べに行ったりするような時間も持てましたが、それまでは外で遊ぶことにも全然興味がなかったです。それよりも、時間がちょっとでもあったら、洋服屋さんに行ったりとか、1人で映画を観に行ったりしていましたね。

 

── その後、結婚、出産を経て、2017年に「ダンシング・ヒーロー」が再ブレイクしました。

 

荻野目さん:びっくりしました…!キッチンで料理をしていたら、テレビから曲が聴こえて。なんだろうと思って手を止めて観に行ったら、平野ノラさんが出囃子に使ってくださっていたんです。その後、大阪府立登美丘高校でも曲を使ってくださって、感謝しかないです。子どもたちにも、私の仕事はもちろん知っていますが、自分から当時の話をすることはあまりないので、「ダンシング・ヒーロー」の再ブレイクで知ったことも多かったみたいです。

 

── ちなみに「荻野目ちゃん」というニックネームは、デビュー当初から呼ばれているニックネームのようですが、ご自身では「苗字に、ちゃんづけ」される呼び方はどう思いますか?

 

荻野目さん:最大限に自分をポップにしてもらえているなって思います。名づけ親が(片岡)鶴太郎さんなんですよ。デビュー当時、新人の子たちが出演できる番組があって、鶴太郎さんが「荻野目ちゃん」って呼んでくださったら、会場の皆様がどっとウケて。そこからずっと呼ばれるようになりました。

 

「ダンシング・ヒーロー」のイントロがかかったときもそうなんですけど、「荻野目ちゃん」って誰かが呼んだ瞬間にみんなが笑顔になっていくんですよね。あれ、なんだろうと思いますけど、理屈じゃないようなパワーがあるんでしょうか。荻野目ちゃんって初めて言われたときは、すごくうれしかったです。今でも親しみを込めて言ってもらえますしね。

 

PROFILE 荻野目洋子さん

1984年デビュー。1985年シングル「ダンシング・ヒーロー」が大ヒット。2017年は大阪府立登美丘高校ダンス部とのコラボレーションで話題を呼んだ。4月に本人作詞作曲「Bug in a Dress」アナログレコード版が発売しライブも開催。

 

取材・文/松永怜 撮影/阿部章仁