レコード大賞新人賞受賞も「ツチノコ歌手」に
── 翌年には、そのデビュー曲でレコード大賞新人賞を受賞されています。
高橋さん:有線放送から火がつき、じわじわとヒットしたんです。
ただ、レコード大賞新人賞もノミネートに入っているというのは連絡は事前にもらっていたものの、本決定の連絡は2日前だったので、大慌てで準備。いつもそんな感じでやってきたので、もはや私の意思うんぬんではなく、そこに歌があり、私の声が必要とされるのなら、ありがたく受け入れて全力で向き合おうと考えるようになりました。
ただ、目の前にきたチャンスはきちんと掴めるように、常に万全な状態を維持しておく。今でもこの考えは、私の仕事哲学になっていますね。
── エヴァンゲリオンの曲と出会ったのがデビュー4年目の1995年。そこまではどんな道のりだったのでしょう?
高橋さん:新人賞を受賞したものの、鳴かず飛ばずで、街中を歩いていても、誰にも気づかれないような「ツチノコ歌手」でした。高橋洋子って本当にいるのか?いないのか?幻か?みたいな。
その後、バブルがはじけて、所属していたレコード会社の社長が何度も変わるなど、混沌とした状態に。仕事が減っていたこともあり、いったん歌を学び直したくて、ロサンゼルスに半年間留学したんです。
── 順風満帆とはいかなかったのですね。
高橋さん:そんなに甘くはありませんでしたね。帰国後、知り合いの作曲家の大先輩に「何かお仕事ありませんか?」と伺ったところ、「とあるアニメのエンディング曲をいろんな人が歌う企画があるからやってみたら?」と言われ、そのまま主題歌も担当することに。それが「残酷な天使のテーゼ」でした。
とはいえ、エヴァンゲリオンも95年当初からヒットしたわけではなく、再放送などを経てジワジワと人気に火がついた作品でしたから、私自身は相変わらず、売れない歌手のままでした。
それなのに、専属契約でお給料をいただき、たくさんのスタッフさんが「高橋洋子」という商品をいかに素敵に見せるかを考えて、手を尽くしてくれる。そんな状況に、申し訳なさを感じていました。
このままだと人として、そして歌手として、ダメになるのではないか。そんな危機感を覚え、芸能界を辞めようと決意したんです。