大学生のとき、ふらっと寄席を観に行くと、気づけば涙が頬をつたっていた。神田京子さんは間髪なく演じた89歳の講談師の元を訪れ、弟子入り志願。これだと思った仕事に情熱を傾け、どんどんその世界の魅力に引き込まれたといいます。
アナウンサー志望も寄席に通っているうちに...
── 京子さんが講談師になろうと考えたのはいつごろですか?
京子さん:じつは私、アナウンサーになりたかったんです。学生時代、好奇心旺盛でなんでも一生懸命やっているうちに級長になったり、中学時代に英語弁論大会で優勝したりしたことがあり、伝える役割に興味を持ちました。
それでアナウンサーになろうと、まず東京へ。日本大学芸術学部放送学科に進み朗読サークルに入ったものの、サークルにいたアナウンサー志望の子たちはきらびやかで私とはまるで違いました。
やがて誰かの書いた原稿を読むより、自分が感動した内容だけを伝えたい気持ちがわいてきたんです。
それっていわゆる“話芸”なのでは、とバイト代をつぎこんで寄席に通いはじめたのが大学3年の冬でした。