戦略があって初めて募金活動は成立する

とはいえ、当時は“どうやったら目標金額の5億3000万円を集められるか”しか、國近さんの頭のなかはなかったといいます。

 

「思いついたことは全部やろうと思って。父親の昭一郎さんとはこんなアイデアどう?とか、毎晩チャットでやりとりしていました」

 

多くの人と面会していくなかで、とくに記者会見をする前に、“事前に支援をお願いすること”が重要だったそう。

 

「会のサブメンバーで交渉ごとに長けた方が途中から参加して、アドバイスをもらいました。いかに影響力の大きい支援者に対しては事前に伝えておくか。自分ごとにしてもらうか。

 

記者会見後にお願いをしても、一般の人と同じになってしまう。先に巻き込んで課題として共有してもらう、そこに腐心していましたね。

 

『あおちゃんを救う会』の活動を始めたころにお会いした教育事業をてがけるNPO法人の方から、クラウドファンディングのやり方や有力者から募金を集めるためのリスト作りなど、有効な手段を教えてもらいました」

 

記者会見と募金活動の開始はセットだったといいます。11月14日に記者会見を開き、募金の呼びかけを始めます。会見は記者からの疑問に終始丁寧に答える形で進みました。

 

ご両親の思い、主治医やNPO日本移植支援協会理事長のサポート、“なんとか私たちの想いを”の気持ちがテレビから伝わった人もいるでしょう。

 

募金活動の間口を広げるために、仙台にも支部を作りました。仙台は母親の清香さんの地元で、佐藤夫婦が在籍した東北大学アメフト部の元監督を中心に立ち上げたそうです。

 

「記者会見後に全国からの募金が殺到しましたが、1週間後に仙台で募金を始めたときも大きな反響がありました。1日に集まる募金額がものすごくて。

 

募金に参加してくれた親子のなかに、小学生のお子さんがあおちゃんのことをニュースか何かで知って、かけつけてくれた。

 

そしてその場で感じたことを作文にしたそうです。病気や手術のこと、お金のことまで書いてくれて。勇気をもって、学校でも友だちに話してみたことも後で耳にしました」

 

こうして1か月の期間で集まった目標金額は、無事に手術の受け入れ先のコロンビア大学病院に振り込まれました。

 

いま、あおちゃんを救う会はひとまずの目標を達成し、会計のメンバーは対応に追われていますが、多くが以前の日常に戻りつつあります。

 

「ビザの申請などいまできることは、ご両親しかできないことが多い。コンタクトがあればそれに応じてフォローしています。あおちゃんのお姉ちゃんの学校の手続きとか。

 

これまで支援してくださった方たちに対して、SNSなどで現状をお伝えするのは役目だと思うので、タイミングを見て情報を発信していきたいと思います」

 

あとは渡航してドナーを待って、手術の無事を願うばかり。

 

「でも、僕はこれは奇跡でしかないと思っています。あおちゃんを救う会のメンバーが組織的に動けた。たまたまご縁があって、事務所を開けて、区長とすぐに面会もできた。記者会見がテレビなどで大々的に報じられて、注目が集まった結果です。

 

子どもが大きな病気を抱えて移植手術をせざるを得なくなり、しかも海外でしか道がない。そのために当事者が膨大な募金を募る。これを“モデルケース”にしてやっていくのはしんどいです。

 

もし少しでも状況が変わって、募金がままならず3か月、半年、1年とかかったら『あおちゃんを救う会』のメンバーも耐えられたかどうか。仕事も家庭もあるわけですから。

 

いまもまだ、同じように子どもの移植手術費用のために募金活動している方々はいます。

 

僕らの活動が美談でなく、“ちょっとこの状況自体がおかしい、当事者の懸命な募金活動しか手段がないのはどうなんだろう”と思います」

 

小さな命を守るために、手を差し伸べられる手段が“人の善意”だけ。これは国としてあるべき姿なのでしょうか。「根本的な課題解決はもう待ったなしの状況なんです」と、國近さんは力強くこちらを見て、言葉を閉じました。

 

取材・文/西村智宏 画像提供/佐藤昭一郎・佐藤清香