フィギュアスケートの選手から大学卒業と同時に2010年にフジテレビの会社員になった中野友加里さん。数か月前までスポットライトを浴びる競技生活から一転し、裏方の仕事に就くキャリアチェンジで彼女をまっていた変化とは(全5回中の1回)。

「何がわからないか」すらわからない日々 

── フィギュアスケートを引退して、2010年の大学卒業とともにフジテレビに入社されました。スケートリンクでスポットライトを浴びていた世界から、新入社員として勤務が始まっていかがでしたか?

 

中野さん:入社して3か月もしないうちに、プライドがズタズタになりました(笑)。スケートでやってきたことは、通用しないんだなって。

 

フジテレビ入社式での中野友加里さん
フジテレビ時代入社式にて。紺のスーツを来て、思いを語る中野さん

── 1年目は映画事業部に配属されたそうですが、どんなことが大変でしたか?

 

中野さん:映画事業局配属当初では、撮影現場に行って役者さんたちにご挨拶したり、宣伝活動もしていたんですけど。

 

まず、周りの人たちが話している言葉の意味がわからない。

 

先輩からメモを取るように言われてメモを取るけど、自分で書いたメモの意味がわからない。先輩に「何がわからないの?」「何もわかりません」「どこがわからないの?」「全部わかりません」という状況から、一個一個教えてもらいながらやっていって。

 

業界用語も、研修ブックに載ってはいるんです。でも、やっぱり現場に行って肌で感じて覚えていくので。周りの人の言葉がすぐにわかるようになるまで、2年くらい掛かったと思います。

「あぁ、あのスケートの子ね」と言われて

2008年の全日本で初めてショートプログラムで1位になった中野友加里さん
2008年の全日本で初めてショートプログラムで1位になったとき

── 仕事を進めていく中で、中野さんの知名度があるからこそ、プレッシャーのようなものはありましたか?

 

中野さん:名前が知られていて良かったことと、そうじゃなかったこと、両方あると思います。

 

ただ、「中野友加里ってスケートしかできないじゃん…」って言われるのが、すごく嫌だったんです。「中野友加里はスケートも出来たけど、仕事も出来る」って思ってもらえるように、毎日必死でした。

 

やっぱり名刺交換するたびに、「あぁ、あのスケートの子ね…」みたいな感じで1年目は言われ続けていたので。

 

あと、私はみんなと同じように普通に就職試験を受けています。子どもの頃からテレビが大好きで、いつかテレビ局で働いてみたい。将来は自分で取材してみたい…!って、フィギュアスケートの選手を目指しながら、ずっと思って入社したんです。

 

でも、他社の方から「どうせ、コネなんでしょ?」みたいな感じで、メディア業界の集まりとか、お酒の場で何度か言われました。もうこれは仕事で実績を出すしかないなって強く思いました。

 

── ちなみに、中野さんの同期や先輩の皆さんは、中野さんとどのように接していましたか?知名度に嫉妬されるようなことはありましたか?

 

中野さん:入社するまで、自分だけ浮いてたらどうしよう…って思ってたんですけど。会社で、特別扱いされなかったのは本当にありがたかったです。みんなすごく仲良くしてくれたし、同期も、私の最後の全日本に寄せ書きの垂れ幕を持って振ってくれたり、最後のアイスショーに駆けつけてくれたりしました。

 

嫉妬ですか?嫉妬とかもあったのかな…?あったとしても気づかなかった(笑)。それはラッキーだったのかもしれませんね。

大量の差し入れを持たされてイラッとして

中野友加里さん
スケートしか出来ないと言われないように必死だったと語る中野さん

── 中野さんは、フジテレビ入社の数か月前までスケートリンクで試合にも出ていました。選手から会社の一般職として勤務していく中で、意識が変わったと思う瞬間はありましたか?

 

中野さん:今でも覚えているのが、「あ、私が、電車でこれ運ぶんだ…」みたいな(笑)。両手に持ちきれないくらい大量の差し入れを買って、階段を登りながら手がちぎれそうになるくらい重くて、そんな状況にも若干イラッとして。電車のガラスに映る自分の姿を見て、ふと、「あぁ、自分は何やってるんだろう…」って思ったんです。

 

つい数か月前までスケートリンクで滑って、広大な客席から視線を独り占めしていたし、ちょうど去年の今頃は試合で滑ってたんだよな…とか。そう感じた瞬間はすごく辛かったですね。

 

でも自分が好きなテレビの会社に入った以上は、こういった仕事もするのは当たり前だ…って、徐々に自覚していきました。もちろん、入社する前から会社に入ったらコピーを取るとか、お茶を淹れるとか、そういうことはやるんだろうなってイメージはしていたんです。でも、差し入れや弁当を運んでいるときに、改めて自分は違うステージに進んだんだと痛感しましたね。

 

── 今までは、差し入れや弁当を渡される側でしたが渡す側に。

 

中野さん:全然違いますよね。今まで、なんて裕福で恵まれた環境でスケート生活を送っていたんだろうって。お弁当以外にも、社内に映画のポスターを貼る作業とかもあったんです。でも、会社が広いので、全部回りきるのに1時間くらいかかったり。社内文書や機密文書も専用の場所に捨てるとか、バイク便も会社に入るまで知らなかったですし、当たり前の事を一つひとつ覚えていきました。

 

「自分がやらなければいけない」と思う一方で、「なんで、私はこんなことやってるんだろう」って。そんなふたつの感情が折り重なってる感じで、やっぱり慣れるまで1年くらいかかりました。

 

でも、入社して1年経つ頃には、もう多分何をやってもスケートの中野友加里ではなくて、ただの中野友加里。そう、自分でも受け入れていったと思います。

 

── 時間と経験とともに、気持ちも変化していった。

 

中野さん:社会人として、こういう経験も大事なんだって割りきってやれるようになりました。それに、あのままプロになって、コーチの道に進んでいたら、自分の性格上、もっとプライドも高くなっていただろうし、もっとわがままになっていたと思います。

 

── 違う環境に身を置いたからこそ、気づけたこともあったと。

 

中野さん:一つひとつ積み重ねていって、失敗しながらたまに褒められたりして。そうすると嬉しいじゃないですか。何もわからなかった私に皆さんもすごくよくしてくれて、会社に入ってすごく成長させてもらったと思います。

 

PROFILE  中野友加里さん

1985年生まれ。愛知県出身。3歳でフィギュアスケートと出会い、24歳で現役引退。2010年に株式会社フジテレビジョンに入社。2015年に結婚、現在は二児の母。2019年3月でフジテレビを退社し、メディアでスポーツコメンテーター、講演活動等を行っている。

 

取材・文/松永怜 撮影/阿部章仁