「警察を辞めるとき、職員総出で花道を作ってくれたんです」。30歳の若さで吉本新喜劇の座長に抜擢された酒井藍さんは、人生の転機を振り返ります。3歳から憧れた世界。遠回りをしながらも突き進む姿には、エネルギーにあふれた人生が詰まっていました。
忘れられない小籔兄さんからのひと言
── 酒井さんは、新喜劇63年の歴史上初の女性座長として、「小学3・4年生」「女親分」キャラなどで“藍ちゃん”として人気を博しています。1999年に現行の座長制度になってから最年少での昇格。2017年、100人以上の座員を率いる3人の座長のひとりに。当時のお気持ちは?
酒井さん:
保育園のときから新喜劇が大好きで、絶対に入ってやると決めていましたけど、まさか座長なんて。“どつかれた”くらいの衝撃を受けました。
最初に報告した小籔兄さん(当時の座長・小籔千豊さん)からは、周囲に人がいたこともあり「座長がえらいわけではない。調子に乗らずがんばらなあかん」と厳しめのアドバイスを受けました。
それでようやく気を引き締めないと、と我に返りました。
でも、あとからLINEで「ほんまに良かった。今度お祝いにおいしいお寿司行こう」と励ましてくれたんです。
── 関西では、新喜劇がお茶の間でふつうに流れていますよね。小さいころから新喜劇にハマっていたわけですが、どこに魅かれたのですか?他の道に進むなど心が揺れたことはありませんか?
酒井さん:
新喜劇はお笑いのイメージが強いのですが、人生の悲哀や人情でほろりとさせる芝居も必ず入ります。泣かせつつ大笑いさせるという、緩急ある展開が小さいときから大好きです。
昔から人前で表現したり、何かを作るのも好きでした。小学校6年生のとき、体育館で自分がプロデュースしたミュージカルを同級生と上演したことがあります。
ミステリー作品なのに歌がうまいクラスメートに今井美樹さんの『PRIDE』を歌わせて終わるという、謎の演出でした(笑)。
じつはモーニング娘。さんの大ファンなので、アイドルにも憧れましたが、自分に近いのはやっぱり新喜劇だな、と。