味の確認ではない「おいしい?」に込められたもの

この日常を描いた作品には、「母が分けてくれたことを思い出す」「自分も子どもに、おいしい?と聞いてしまいます」「ジーンとした」と、家族との思い出に浸ったり、今の自分と重ねたりと共感する人が続出。

 

なかには「父親はなんで作っていないのに聞いてくるんだろと思っていた」「なんで何回も聞いてくるの、しつこいと思っていた」という子どもならではの当時の感想もありました。

 

「子どもにはなかなか伝わらないですよね。

 

子どもがおいしそうにご飯を食べている、おいしい?と聞くと返事が返ってくる、そんな日常に幸せを感じるんだなと、ぼくも親になってわかりました。

 

今回は外食シーンで描きましたが、子どもへの、おいしい?の問いは味の確認がしたいわけでも、自分の料理の感想を聞きたいわけでもなく、ただの愛情なんじゃないかなと」

 

そう教えてくれたグッドスリープさん。今になって感じる親からの愛情を、子どもたちが大人になったときにも実感してほしい、そんな願いもこもっているそうです。

 

「育児が絡むとどうしても、欲しいと言われてあげてしまうと人のものまで欲しがる子になるとか、我慢できない子になるというような意見もあると思います。

 

でもこの話は、大人になって与える側になったときに、同じように愛情を注いでほしいというもの。それが伝わればと思います。

 

ぼくは子どもにとって『こうするといい』という指南は描きたくないんです。

 

すべて当てはまるわけではないのですが、子どもが本能で生きているように、親のしつけや教育も、ある程度は本能なんじゃないかと思っています。

 

子どもがおいしそうに食べていたらもっとあげたいと思うのも、親の愛情であり本能なんじゃないですかね?」
 

親から子へ、ふとした瞬間の愛情がつながっていってほしいですね。


文/村上順子