人気絶頂のころ、両親と一緒にピース
人気絶頂のころ、両親と一緒にピース

ソバージュヘアにボディコンと、バブル時代を象徴するイメージを背負い活動していた千堂あきほさん(53)。絶頂期にある事件に巻き込まれながらも家族の言葉で乗り越え、夫と“対等”だったからこそ、今日まで二人三脚でやってこられたようです(全3回中の3回)。

“千堂あきほ”を知らなかった夫

── ご主人とは、どのようにして知り合ったんですか?

 

千堂さん:忙しかった時期、休みがあると友達と一緒にサイパンへスキューバダイビングに行くのが楽しみだったんです。

 

同じ趣味の仲間も見つけたかったので、事務所を通さず自分で申し込みをして、優待も何もなく。

 

そこで夫はダイビングインストラクターをしていて、海をガイドしてくれるスタッフのひとりだったんですけど、私のことを知らなくて。

 

── えっ、大ブームのころですよね?

 

千堂さん:夫は20歳から海外に出ていたので、日本の情報に疎かったんです。

 

当時はどこに行っても、バレる状況だったので、近づいてくる男性はみんな“千堂あきほ”として見ているのだと拒絶していました。

 

でも夫は私のことを知らなかったので、普通の人として対応してくれた。バカな話をして、普段のままの私でいられた。

 

うれしかったし、気が楽で。なんとなく私のほうから人柄に惹かれていった感じですね。友達も「絶対いいと思うよ!」って後押ししてくれて。

 

夫とは趣味だったダイビングで出会った千堂あきほさん
夫とは趣味だったダイビングで出会った

給料がゴッソリなくなるくらい

── その後は、遠距離恋愛をされていたんですか?

 

千堂さん:そうですね。会うのも1年に2回くらい、友達とみんなで、という感じでした。

 

当時は、LINEはもちろんメールもないし、ファックスと国際電話が連絡手段でした。

 

電話も公衆電話しか使えなかったので、貯金箱にどっさり小銭を貯めて。でも、アッという間になくなりました。

 

相手からかけてくれたときは、給料がゴッソリなくなるくらい使わせてしまって(笑)。それくらい夢中になって話してましたね。

 

── お互い強く惹かれ合っていたんですね。

 

千堂さん:疲れていても、彼と話すと元気になった。「大丈夫、頑張ろう!」って。心の拠りどころだったんでしょうね。

 

2年くらい、そういうお付き合いをしていました。

 

── それほどの気持ちになれる出会いって、そうそうありませんよね。

 

千堂さん:そうかもしれません。30代で結婚して、活動の拠点も地元の関西に移して。

 

東京ではいいことばかりではありませんでしたけど、一緒に乗り越えることができました。

 

中2、小5の娘と畑仕事をすることも
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