ソバージュヘアにボディコンを着こなす、1980年代後半の“バブル”な女性の象徴的存在だった千堂あきほさん(53)。現在は雪深い北国で、中学2年生と小学5年生の姉妹の子育てに励みつつ、芸能活動もしていますが、移住直後は“カルチャーショック”も多かったようです(全3回中の1回)。
1人目は関西だったけれど…
── 札幌に移住されて、もう10年以上になりますね。
千堂さん:2011年の2月に2人目の出産のために札幌へ来たので、もうすぐ12年になります。
1人目を出産したときは地元の関西に住んでいて、夫のお母さんに来てもらったので同じような形にしようと思っていました。
出産場所を探しているとき、義母が住んでいる北海道の医師を紹介されて、里帰り出産のような形で行ってみようとなったのがきっかけですね。
北海道ですべてがハマった
── 最初から移住する予定ではなかったんですか?
千堂さん:そうですね。 ゆくゆくは…とは何となく考えていましたけど。
3月のもうすぐ生まれそうなときに東日本大震災が起きて、4月に出産して。いろいろ思うところがあって。これは北海道に留まれということなんだろうか、と。
何よりも空気と水と食べもの、すべてが自分にピタッとハマる感じがありました。
私は子どものころ、おばあちゃんのいる生活をしていたので、子どもたちにとっても、そういう昭和的な暮らしがいいかなという思いもありましたね。
── お義母さんにサポートしてもらえることもありますよね。
千堂さん:当時は札幌に友達はひとりもいなかったですし、何もわからなかったので、お義母さんにはいろいろと助けてもらいました。
出産後も月に1回、関西でラジオの仕事がありましたが、そのときは子どもをお義母さんにみてもらって。ありがたい環境で子育てできましたね。
ひとりで出かけることもできなかった
── 北海道での生活はすぐに慣れましたか?
千堂さん:いや~、3年くらいは大変でした。最初のころは、ちょっとした用事でもひとりで出かけることができない。
北海道の人は地理を東西南北で話すんですけど、どこから見て東なのかもわからない。
子どもの幼稚園の送り迎えで車を運転するときも、信号のない横断歩道に、(積雪対策で)停止線の標識があることも驚きましたね。
でも、その新鮮さが楽しかったし、子ども中心の生活をしていたらアッという間に時間が経っていましたね。
姉妹を比べない
── 自宅の近くに畑を借りて、ジャガイモやトウモロコシなどを育てているそうですが、娘さんも手伝ってくれるのですか?
千堂さん:畑には連れて行くようにしてます。子どもが作業をやる・やらないは別としても、北海道ならではの経験を一緒に楽しんでほしいなと思うので。
「食べもののことが勉強できるよ」とか「終わったらハンバーグを食べよう」とかアメも使いながら(笑)。
畑にいるトンボを捕まえるだけでもいいんです。自分から楽しさをみつけてほしい。
最初のころは「畑行くよ」って声かけると「えーっ」て言っていましたが、今では「次はいつ?」と聞いてきたりすることもあります。
昔ほどの影響力はなくても
── 子育てで大事にしていることはありますか?
千堂さん:子どもは私物ではないので、思うようにいかないですから。
考えていることを言いやすい環境にしてあげて、 何か言ってきたときに本人が選びやすい提案材料を準備するようにしています。
あとは姉妹を比べない。私は3人姉妹の真ん中で、みんなバラバラの個性を持っていましたが、 親は比べることを1回もしませんでした。それが心に残っていて。
何が正解かはわからないので、毎日模索していますけれど。
── お仕事では、北海道ローカルのミニドラマに出演されていました。今後は女優業も増えていきそうですか?
千堂さん:機会があればやっていきたいですね。最近も別の北海道ローカルのドラマのお仕事を少ししましたが、楽しかったです。
── 北海道漁協女性部の応援大使として、道内の活性化に尽力していて、笑顔やトークが素敵です。
千堂さん:うれしいですね。私も浜の先輩お母さんから、いつも元気をもらっています。
昔の千堂あきほほどの影響力はなくても、自分の経験を伝えたりすることで人が元気になってくれたり、今を満たせることを日々考えて、していくことが大事なのかなって思います。
PROFILE 千堂あきほさん
1969年、兵庫県生まれ。’90年に歌手デビュー後、『東京ラブストーリー』などのドラマやCMに幅広く出演。2000年に結婚し、’11年から北海道に移住。北海道漁協女性部応援大使。HTBドラマ『弁当屋さんのおもてなし』(’23年2月)では声の出演。
取材・文/原田早知 写真提供/千堂あきほ