夢が叶わないと知ったとき “お笑い”が救いになった
── バレエ漬けの日々を送るなか、唯一の楽しみは“お笑い”だったそうですが、幼いときからお笑い好きだったのですか?
松浦さん:
私が大学生のときに余命宣告を受けて亡くなった父が、大のお笑い好きだったんです。
『オレたちひょうきん族』や『8時だョ!全員集合』のDVDシリーズをすべてそろえて、家族でよく一緒に観ました。
私も若手芸人が出ていた「baseよしもと」に学校帰りにかけつけて、これから売れそうな芸人を学校で友だちに紹介することも。
── では、お笑いの道に進んだのは必然?
松浦さん:
いえいえ、まったくそんなことはなく。
踊りの道を模索して大阪芸術大学に進みましたが、舞踊コースでの成績はずっと2番。
1番の子にはどうしてもかなわなくて、私はバレエを仕事にはできない、と悟りました。
落ち込んだというよりも、実力の差をつきつけられてキッパリあきらめるしかなくて。その1番の子は現在、東京バレエ団で活躍中です。
── あきらめてから松浦さんはどうしたのですか?
松浦さん:
そこで、私は笑いに走ったんですよ。踊りの途中でボケてみたり、ものまねを取り入れたり。
内輪ネタなのですが、“芸大あるある”、“バレエあるある”などのオモシロ動画を作り、仲間に見せてみんなで笑いころげまくり。
当時は夢にも思いませんでしたが、自分のYouTube『けっけちゃんねる』への足がかりは、このころすでに芽生えていましたね。
その後、父の死をきっかけに母から新喜劇のオーディションを勧められてこの道に。
つらく悲しい経験でしたが、1番の子の存在と父の死が、私がずっと好きだったお笑いを仕事にする扉を開けてくれました。