夢が叶わないと知ったとき “お笑い”が救いになった

── バレエ漬けの日々を送るなか、唯一の楽しみは“お笑い”だったそうですが、幼いときからお笑い好きだったのですか?

 

松浦さん:
私が大学生のときに余命宣告を受けて亡くなった父が、大のお笑い好きだったんです。

 

『オレたちひょうきん族』や『8時だョ!全員集合』のDVDシリーズをすべてそろえて、家族でよく一緒に観ました。

 

私も若手芸人が出ていた「baseよしもと」に学校帰りにかけつけて、これから売れそうな芸人を学校で友だちに紹介することも。

 

4歳のころの松浦さん(左)。お笑いが大好きだった父との1枚

── では、お笑いの道に進んだのは必然?

 

松浦さん:
いえいえ、まったくそんなことはなく。

 

踊りの道を模索して大阪芸術大学に進みましたが、舞踊コースでの成績はずっと2番。

 

1番の子にはどうしてもかなわなくて、私はバレエを仕事にはできない、と悟りました。

 

落ち込んだというよりも、実力の差をつきつけられてキッパリあきらめるしかなくて。その1番の子は現在、東京バレエ団で活躍中です。

 

── あきらめてから松浦さんはどうしたのですか?

 

松浦さん:
そこで、私は笑いに走ったんですよ。踊りの途中でボケてみたり、ものまねを取り入れたり。

 

内輪ネタなのですが、“芸大あるある”、“バレエあるある”などのオモシロ動画を作り、仲間に見せてみんなで笑いころげまくり。

 

当時は夢にも思いませんでしたが、自分のYouTube『けっけちゃんねる』への足がかりは、このころすでに芽生えていましたね。

 

その後、父の死をきっかけに母から新喜劇のオーディションを勧められてこの道に。

 

つらく悲しい経験でしたが、1番の子の存在と父の死が、私がずっと好きだったお笑いを仕事にする扉を開けてくれました。