自宅起業から渋谷に店を構えるまで

── 子育てしながら働き続ける道を模索した結果、起業という道を選択されました。ただ、一般的に起業には高いハードルがあるように思います。

 

光畑さん:
たしかに、起業というと「どうやって資金調達すればいいのか」などと身構える人は多いですよね。でも、私は高校の文化祭で模擬店を出すような感覚でしたよ。最初に作った授乳服は10枚。自宅でできる小さな仕事という感覚でスタートしています。

 

── そこからどのようにしてビジネスを拡大していったのですか。

 

光畑さん:
授乳服の企画は自分でやりましたが、私は人様に売れるクオリティのものは作れません。さりとて、まだ市場が開拓できていない段階で、工場に委託するほどの量は見込めない。そこで、結婚や出産を機にアパレル企業の工場をやめた女性に、自宅で縫製してもらうようお願いしました。

 

これならクオリティを確保しながらの少量生産も可能ですし、彼女たちも、育児をしながら無理のない範囲で収入を得ることができます。月に2、3万円という金額ではありましたが、金額の多い少ないよりも、「自分と同じような立場の、ママたちのための服だから」という思いで丁寧に縫ってもらえたように感じています。

 

授乳服のターゲットは、都会のママたちです。当時はインターネットが普及していなかったので、ママたちは地域密着型のミニコミ誌などで育児情報を集めていました。そこで、各地のミニコミ誌編集部にお手紙を書いて、授乳服を紹介してもらって、認知度を徐々に上げていきました。

 

育児中の女性たちとの交流をベースに事業を拡大していった

── 会社組織として軌道に乗り始めるまでに何年くらいかかりましたか。

 

光畑さん:
1年目の売り上げは10枚程度だったのですが、年々倍増していき、数年後には年商1000万円超えに。これを受け、2002年に法人化しました。授乳服を作り始めてから5年目ですね。当時8人のスタッフがいて、全員が子育て中だったため、子連れ出勤の制度を整えました。

 

2005年には、「多くの人にこの働き方や実際に授乳服を使っている姿を見てほしい」と、東京都渋谷区神宮前に、国内初の授乳服専門店を構えることに。このモーハウス青山ショップは、販売スタッフも子連れ出勤可としたので、当時は多くのメディアでご紹介いただきました。

 

「最寄り駅は表参道」という立地にあった当時のモーハウス青山ショップ