産後、都心で働くことがイメージしづらい時代

── 光畑さんが授乳服事業を始めたのが1997年。結婚したら仕事を辞める「寿退社」が当たり前の時代でした。当時、子育てをしながら仕事を続けるにあたって周囲の反対などはありませんでしたか。

 

光畑さん:
幸いなことに、私自身は「女性は家庭に入るべき」という圧力を感じることはさほどありませんでした。

 

進学したお茶の水女子大学は、働く女性の道を切り開いてきた卒業生がたくさんいる学校でしたから、「これからの女性は仕事をしなければ」という意識が自然につきました。

 

就職先も女性の登用に積極的な会社でしたね。男女雇用機会均等法がスタートしたばかりで、出産後も仕事を続けていくのは、この時代に働き始めた私達の責務でもあるという気持ちがありました。

 

ただ、一方で、社会全体の理解が追いついていませんでしたから、出産後も都心で残業しながら働くイメージはなかなか湧かなくて。

 

「子育てしながら働くのは無理ではないか」と思う人が多いなかで、何か答えがあるはずと信じて模索を続ける日々でした。

 

私は、近くに大きな病院のある商店街で育ちました。看護師さんや商店街のおかみさんなど、働く母親が普通にいる環境。そうした記憶の根っこの部分も、仕事をやめなかった一因かもしれません。

 

幼少期から「働く母親」を身近に感じていた