子どもがADHDと診断されたとき、母親はどのような心境になるのでしょうか。小児科医・森中博子さんの長男は、5歳のときにADHDとわかりました。「診断されるまで、息子は天才だと思っていた」森中さんでしたが、そこからしばらくは長男のことを真っすぐに見られなかったと言います。診断前の様子や、小学校進学時の葛藤、現在小学4年生になる息子さんの子育てについて聞きました。
「ADHDかも?」点と点がバーッと繋がった
── 森中さんは発達障害の子の育児に悩む保護者に向けて、SNSなどで積極的に情報を発信されています。こうした活動を始めるきっかけは?
森中さん:
私にはADHDと診断された小学4年生の長男がいます。そして、「もしかしたら発達障害のグレーゾーンかも?」と最近感じている小学1年生の次男。それから会社員の夫の4人で熊本に暮らしています。
最初のきっかけは、保育園からの声かけでした。0歳から通っていたのですが、長男が3歳のときに、「(発達について)相談に行ったほうがいい」と先生に言われて。
長男はめちゃくちゃ元気なタイプで、それゆえの困り事もちょこちょこあったのですが、私も初めての子育てで「3歳の男の子ってこんなものか」と思っていたんですね。
でも先生に発達障害の可能性を指摘されたとき、自分のなかで「そういえばあの行動は」「あれもそうかも」といろんな点が一瞬でバーッと繋がって線になるような感覚がありました。あの瞬間のことはすごく鮮明に覚えています。
──「そういえば」と思い当たったのは、たとえばどんな行動ですか。
森中さん:
保育園でも家でも、食事のときの立ち歩きがすごく多かったんです。あとは園でみんなが集まるときに長男だけ集まらないとか、ちょっと動きが多いとか。
相談窓口に面談予約を入れ、発達検査を受けましたが、結果はグレー。明らかに発達障害とは言えない状態で、「まだ年少なので様子をみてください」と言われ、結局支援につながることはありませんでした。
その少し前に熊本地震が起きていました。
発達検査を受けたときは、次男の育休中だったのですが、育休が明けたら、地震で市民病院が機能しなくなった影響で、私の仕事も大忙し。慣れない二人の育児と仕事を両立させるのに精一杯で、当時はとても長男にまで手が回りませんでした。でもそれらは言い訳で、「現実から逃げたかった」気持ちもゼロではなかったように思います。
ただ、そうこうしているうちに、長男の困り事がどんどん増えてしまって。年長さんになって「このままでは小学校に行けない」と思って、ようやく支援センターに「療育を受けたい」と相談をしに行きました。
── 療育を受けてからの変化はありましたか。
森中さん:
療育に通うようになっての収穫は、同じ悩みを抱える親同士で交流ができたことです。長男も彼なりに頑張っているし、親である私も頑張っている。そういう思いで繋がり合える仲間ができたことが、本当に、いちばんよかったと思います。