東京大学医学部卒業後、ワコールに入社。在職中に奈良の工房「益久染織研究所」の廣田益久さんに出会い、工房に弟子入りした異色の経歴の持ち主・青木正明さん(55)。2002年に京都市で「手染メ屋」(現tezomeya)を設立した後、今は京都光華女子大学で准教授として染色を教えています。「人生は基本ノリだと思う」と語る青木さんに、これまでの経緯を伺いました。

 

京都市にあるtezomeyaの外観。草木染の商品が並ぶ

保健学科を出て好きだったアパレルに

── 1991年3月、東大医学部を卒業されてワコールに入社。2000年6月に退職してから、染色家になられたとのこと。驚きの経歴ですね。

 

青木さん:
「東大医学部」で表記を止めちゃうと凄そうですが、実は保健学科なのです。東大医学部医学科と保健学科はまったく違うので。みなさんがイメージする東大医学部は、東大理3ですよね。僕は保健学科で、普通の理系です。

 

医学周辺の公衆衛生とかを学ぶところで、周りには厚労省を出て、世界保健機関にいく人とか、臨床心理士を目指す人とかがいます。企業への就職では、保険会社に行く人が多かったですね。たとえば、タバコを吸う人と吸わない人の死亡率の違いとかを学んでいるので、保険会社で新しいがん保険を作るのに役立つ勉強をしていたのです。

 

── そんななか、青木さんはなぜワコールを選ばれたのですか?

 

青木さん:
理系の文系就職というものですね。専門で勉強した学問を使わず、ほかの分野の仕事に入ることを指します。服が好きだったので、アパレルを選んだんです。

 

── ワコールではどんなことをしたのでしょう。

 

青木さん:
最初はいろいろな部署に配属され、経験を積ませてもらいました。最後はいわゆる企画、ブランドの統括責任者をしました。

 

ワコールもいろんなブランドを持っていますよね。下着が有名ですが、それ以外のアイテムもあるので、それぞれターゲットを明確化して、ブランディングしていくんです。

 

私はその中のひとつのブランドの統括責任者でした。営利企業なので、たとえば24億円の売上があるスポーツウェアを翌年は26億円の売上げを目指すぞ、と決める。営業部と連携して、良さそうな売り場を探してアプローチしに行ったり、デザイナーさんに商品企画を声がけしたり、新しいカタログを作るために、広報担当に頼んだりしていました。

 

自分ですべてやっていると仕事が回らないので、それぞれに関わる知識の表面を知りつつ、任せてやっていました。最終的に10年勤めていましたね。