審判員になる決断を下した日の光景

── 幼少期のサッカースクールから社会人クラブチームまで選手としても活躍されましたが、高校ではサッカー以外の部活動も経験されたそうですね。

 

山下さん:
「兄の影響で4歳からサッカーを始めました。高校では部活動を経験したかったのですが、女子サッカー部がなかったのでバスケ部へ。バスケ中心の生活を送り、サッカーは学外のクラブチームに所属しながら続けました。

 

他のスポーツも経験しましたが、大学でサッカー部に入り、毎日のようにボールを蹴ったら、楽しくてたまりませんでした」

 

東京学芸大学の女子サッカー選手としてプレーをしていた山下さん

── 大学で改めてサッカーの楽しさを実感されたとのことですが、「審判」との出会ったきっかけは?

 

山下さん:
「大学ではチーム全員が4級審判員の資格をとっていて、卒業前に大学の先輩であり、いまでも審判として活躍されている坊薗真琴さんに誘われて試合で審判をしました。

 

このとき、審判を務めたのはサッカーフェスティバルでの男子高校生の試合。私が危険なプレーに笛を吹きそびれた時間がありました。

 

“この審判はここまでは許容する”と受け取られて、その後、ラフなプレーが目につくようになり、審判の笛ひとつで選手の安全が左右されると、責任の重みを感じました」

 

── 大学卒業後は社会人チームに入り、二足のわらじに。選手と審判を両立しながら、2012年に女子1級審判員の資格をとるなど順調にランクを上げてこられました。いつから、審判をメインにしようと決断されたのでしょうか?

 

山下さん:
「実際、私のようにプレーヤーと審判を両立していた人は少ないと思います。

 

週末には練習や試合がある。ただ、そのとき、どちらをとるか、練習の比重をどうするかなど難しい選択をしなければならないからです。

 

2級審判員の資格をとれば、なでしこリーグの副審を務めることができます。

 

兄の影響で4歳から始めたサッカーはすぐに夢中に

でも、チームとしての大切な試合と2級審判員の研修が週末に重なることがあり、自分としてもプレーヤーを続けるか、審判を目指すかのけじめをつけなければ、という気持ちになりました。

 

私は本当にサッカーが好きで、ボールを蹴って駆けまわる瞬間が大好き。審判が本業ですが、それとは別にプレーは一生続けたいです。

 

でも、プレーヤーとして全国トップを目指してやっていくには厳しい面がありました。日本のサッカーにより貢献できるのは、私の場合、審判ではないかと考えて決めました」

 

── プレーを続けたい葛藤も感じながら、自分の力を最大限発揮できる役割として審判を選ばれたのですね。審判に舵を切ってから、プレーヤー目線では気づかなかったこと、審判だからこそ見える世界や発見はありましたか?

 

山下さん:
「プレーヤーだけでは気づかないことがたくさんあります。例えば、スタジアムの構造や芝の状態にも興味を持つようになりました。

 

「W杯で一番プレーを目の当たりにしてみたい選手は…内緒」とのこと

審判は試合前にピッチチェック(フィールドの確認)を行いますが、その延長で芝を管理するターフキーパーと仲良くなって、夏芝から冬芝への生え替わりについて芝生談義をしたり。

 

スタジアムの構造も各施設で異なるため、空気の通り方や日光のあたり方などに目を向けるようにもなりました。どれも試合や選手の状態に影響を与える要素です。

 

サッカーに関わるさまざまな職種の方と話すことで、サッカーの裏側を知って楽しみ方が広がりました。ふだん表に出ないけれどいろんな方々に支えられていると実感します」