「作家になる」退路を断った先に意外な道が待っていた
── 表現の道に進むために何から始めたのですか。
ウメチギリさん:
小学生のころから、「書く」のが好きな表現方法のひとつでした。これまで書きためた文章を出版社に持ち込んだところ、幸運にも絵本として出版しようと提案いただきました。
そのとき編集者から挿絵を描けるか尋ねられ、とっさに「できます!」と答えてしまったのです(笑)。
素人ながら色鉛筆やクレヨンで描いてみたら、どれもイメージと程遠くて。
そんなとき偶然、家にあった和紙をちぎって貼りつけてみるといちばんしっくりきたんです。それを挿絵にして出版することに。
作家を目指して、7年間働いた養護学校も退職しました。
── 周囲の反応はどうでしたか。
ウメチギリさん:
公務員を辞める選択に親は大反対でしたね。そのとき28歳だった私は、「3年間だけ時間がほしい。それでうまくいかなければ再就職する」と約束しました。
当時は、この先30歳を過ぎたら結婚・出産をして自分のために使える時間もなくなってしまうのでは、とどこかで思い込んでいました。
だから、挑戦するならいましかないと思ったんです。2年後、1年後、半年後…と逆算して、目標を書き出したりもしました。
── 期限を設けて目標を細分化しながら、計画的に進めたのですね。
ウメチギリさん:
それがその通りには進みませんでした(笑)。というのも文筆家を目指すはずが、予想外にちぎり絵の反響が大きかったんです。
出版後、読者から「このちぎり絵の葉書が欲しい」「額に入れて飾りたい」という声がたくさん届きました。
美術は中学校の授業で習ったきりで、むしろ苦手意識があったんです。それでもこれほど求めてもらえるならば、思いきって一度流れにのっかってみようと思いました。
── 当初の計画に固執せず、まずはチャレンジしてみたのですね。
ウメチギリさん:
はい。そこからちぎり絵作家として、3年間とにかく動きました。アートフェスティバルなどのイベントがあると、名刺を持って足を運んで。
そこで人脈をつくり、自分も出展するようになると、その場でまた別のイベントに声がかかるようになっていきました。
試行錯誤しながら自作のホームページも毎日更新していたら、年賀状のデザインなど、新たな依頼が入るように。その後、個展がメディアに取材され、約束した3年後には親にも無事認めてもらえました。