企業専属の助産師が出産や育児、メンタルヘルスなどの相談に乗る顧問助産師サービス「The CARE」が関西を中心に、企業の福利厚生として広まっています。日本初となるサービスを企画したのは「With Midwife(ウィズ・ミッドワイフ)」代表の岸畑聖月(みづき)さん(31歳)。他にも、全国の助産師を検索してケアを受けられるプラットフォームや、助産師向けリスキリングサービスなど、助産師の活躍に向けた様々な事業を展開しています。助産師ビジネスを思い立ったきっかけや目指したい未来像についてお聞きしました。

 

助産師のみのメンバーで起業して、助産師検索サイトやリスキリングサービスなどを展開する岸畑聖月さん

助産師を志したきっかけは近所で目撃したネグレクト

── 岸畑さんはどんなきっかけで助産師を目指したのでしょうか?

 

岸畑さん:
実は14歳のときに、婦人科系の病気が判明して、将来子どもを産めないことがわかったんです。まだ中学生とは言えども大人びた子どもだったので、それをすごくリアルに捉えて葛藤もありましたが、「自分が命を生み出せないのであれば、命を生み出すことをサポートする側の人間になりたい」と、主治医の女医さんに憧れて産婦人科医を志すようになりました。

 

でもその直後に、ある夫婦がネグレクト(育児放棄)で警察沙汰になり、母親だけが周りから責められているのを目撃しました。私は病気が発覚してすぐのことだったので、妊娠して命を生み出せただけでも素晴らしいことなのに、どうして誰も助けてあげられないんだろうと…。「女性が妊娠や出産を経て母親になる過程を支えてあげられるのは誰なんだろう」と考えたときに、助産師という道にたどり着きました。

 

岸畑さんは会社を経営するとともに現役の助産師として大阪市内の病院に勤務している

── 助産師を目指す過程で、それをビジネスに結びつけようと思ったのは?

 

岸畑さん:
香川大学で看護学を学んでいるときに、もうひとつの夢であったウエディング関連の事業を起こしました。自分の夢をビジネスとして価値をつけていくことにやりがいを感じ、経営にもすごく興味を持てたんです。その後、進学した京都大学大学院が助産経営を学べる数少ない場所だったこともあり、助産師として10年くらいキャリアを積んだら、社会課題の解決につながるような、助産師スキルを生かした事業をしたいと思っていました。

 

── 実際、岸畑さんは助産師になって4年目の2019年に起業されました。ライフプランを前倒しして起業した理由はなんでしょう?

 

岸畑さん:
大学院修了後、関西で有数の診療体制を備えた総合病院に勤めたのですが、関西では出産件数がいちばん多い分、妊娠や出産を取り巻くツラい現実も目の当たりにしました。お母さんが産後うつで自死したり、生まれたばかりの赤ちゃんが虐待で亡くなったり…。

 

数字上で見ても、妊産婦の死亡要因でいちばん多いのは自死であったり、虐待死の5割以上が新生児であったりと、いくら医療が発展しても救えなかった命がたくさんあります。戦前は「産婆」と呼ばれ、同じ地域で暮らす親子を支えてきた助産師こそ、そうした命を救える可能性を持っていると思う一方で、現状、助産師の活躍できる場所は限られており、半数以上の助産師は潜在化しています。

 

このまま10年も待っていたら、どれだけ救える命を失ってしまうのかと思い、「今、起業するしかない」と思い立ちました。