「背が高いことがコンプレックスでした」と語るのはタレントの遼河はるひさん。親元を離れて、宝塚歌劇団へ入団。宝塚独自のルールや上下関係、集団生活に対して、どんなことを思ったのでしょうか。また、本来恥ずかしがり屋だったと語る遼河さん。どのような経緯で舞台に立つことになったのでしょうか(全4回中の1回)。

入学早々に泣きながら実家に電話する子もいたが

── 遼河さんが宝塚に入った年は、倍率がもっとも高かったと聞いています。

 

遼河さん:我ながら、今までの人生の中でいちばん頑張ったと思います。自分でも胸を張って言えるくらい努力したなって。

 

── 学校生活が始まってからもハードそうです。

 

遼河さん:入学して1週間で痩せました。入学早々に学校のガイダンスがあって、学校生活の決まりについていろいろ教えていただいたり、初めて親元を離れて寮生活も始まったりと、急激に環境が変わりました。ただ、集団生活は、周りから聞かれるほど苦ではなかったような。

 

同期の中には、公衆電話で泣きながら家族に電話している人もいましたが、私は「この厳しさこそが、宝塚だ!」とすら思えて。

 

それよりも、ずっと憧れていた場所に入れた。そう言った気持ちのほうが強かったのかもしれません。

 

それと、中学生の頃、バレーボール部にいたので、上下関係が厳しく、当時の先生が元オリンピック選手で厳しい指導を既に受けていたこともあったかな。

 

宝塚に入って次第に学校生活にも慣れて、夏休みに実家に帰省しても、早く宝塚に戻りたいな、と思ってました。

 

── ちなみに宝塚には独自のルールと言いますか。廊下の端を歩くとか、そういったものはあったんでしょうか?

 

遼河さん:あります。先輩とすれ違うときに止まってお辞儀をするなど。今となっては、そんなルールはいらないと唱える人もいる一方、ルールがあれば、それさえ守っておけば大丈夫と言う人もいます。

 

私は後者。ルールがあったほうが楽なタイプ。ルールがないと気がつく人、そうじゃない人。サッと先輩をサポートできる人とか、すごく差がつきますよね。それに、ある程度ルールがないと、一人ひとりの力量にかかってくるというか。

 

それに、はたから見たら不思議なルールかもしれませんが、80人くらいの大所帯でひとつの舞台を作るには、やっぱり決まりがないとスムーズにいかないな、とも思っています。