「ようやくスタートラインに立てました」──笑顔でそう話すのは、“クボジュン”の愛称で親しまれた元NHKアナウンサーの久保純子さん。50歳を迎えた今年から、ニューヨークで幼稚園の先生として、新たな一歩を踏み出しました。人気アナウンサーの久保さんが、なぜ幼稚園の先生に…?一見、意外に思えるキャリアチェンジの裏には、“地道な積み重ね”がありました(全3回中の1回目)。
「時間をかけて準備してきてようやく今、スタートラインに」
── アナウンサーから幼稚園の先生への転身に驚く声も多かったようです。こうした反響をどう受け止めましたか?
久保さん:正直、これほど関心をもっていただけるとは思っていなかったので、少し驚いています。確かに、今までと全く違う扉を開けてはいるのですが、実は私にとっては、大きなチャレンジというわけではなく、時間をかけて一つずつ準備をしてきた結果、ようやく今、夢のスタート地点に立つことができたところなんです。
ですから、肩に力が入っている感じはなく、今は本当にリラックスしていて、毎日とても充実しています。
── 華やかなイメージが強いアナウンサーという仕事と、幼稚園の先生のイメージが、少し結びつきにくいのかもしれません。
久保さん:アナウンサーは華やかな世界というイメージを持たれがちですが、実はとても地味な作業の積み重ねなんです。特に、「準備がすべて」という点では、アナウンサーと幼稚園の先生の仕事はとても似ていると感じています。
アナウンサーというのは、例えるならば、主役であるゲストを絵とすると、その「絵を引き立たせるための“額縁”」のような存在です。過度にきらびやかでも、逆に質素すぎてもアンバランスになってしまう。
素晴らしい「絵」をよりよく見せるには、適度なバランスで寄り添う必要があるのですが、幼稚園の先生も同じ。子どもたちが輝くために存在していると思っています。コツコツと準備する作業が、とても大事なんです。
海外経験で言葉の大切さに気づき「英語の先生になりたい」
── そもそも久保さんが、子ども教育に携わりたいと考えるようになった原点はなんでしょうか?
久保さん:さかのぼると、子ども時代に過ごした海外での経験が原点になっています。父親の転勤で、小学校時代をイギリス、高校時代はアメリカに一人で留学しました。
そんななか、“言葉”を通じていろいろな人と出会い、多様な価値観を学びました。いわば、“言葉が自分をつくってくれた”といっても過言ではないと思っているんです。
そうした経験を重ねるうちに、「言葉」を通じて、子どもたちがさまざまな世界を見る機会を作るお手伝いができたら…という思いが芽生えました。
大学時代は英語の教師を志し、教職免許を取得したのですが、教育実習で、“まだ未熟な私が子どもたちに何か伝えられるのだろうか、どんな影響を与えてしまうのだろう…”と不安になってしまって。
私自身がもっと成長してから子どもたちに触れ合おう。そう考え、ずっと憧れていた「セサミストリート」の日本版のような番組を作りたいと、すべてに携わることができるNHKを志願しました。
── NHKを辞めるまでの10年間、その思いは途絶えることなく持ち続けていらしたとか。
久保さん:毎年、年末にそれぞれが番組の企画書を提出し、上司と面接する機会があるのですが、そこでも“こういう番組が作りたいんです!”と熱い思いを伝えていました。
とはいえ、やはりサラリーマンですから、日々の業務もあって、なかなか子ども番組とはご縁がありませんでした。ただ、「いつかはきっと」という思いをずっと持ち続けていました。
「母親になった今しかない」夢を叶えるためNHKを退職
── 転機になった出来事は、なんだったのでしょうか?
久保さん:新しい扉が開いたのは、長女が生まれたときです。自分に子どもができたことで、子どもたちに対する愛情がさらにムクムクと沸きあがってきたんです。“子どもたちに言葉の楽しさを伝えるなら、母親の”勘“を持っている今やらないと!”と思ったんですね。
もしかしたら、いずれ10年後にできるかもしれないけれど、このリアルな”母の感覚“を番組づくりに注ぎ込みたいと決意し、NHKを退職しました。
── 確かに、人生には「ここ!」というタイミングがありますよね。とはいえ、人気アナウンサーとしての地位があったわけですし、手放すものも大きかったと思います。ためらいや迷いはありませんでしたか?
久保さん:まったくなかったわけではありませんが、自分のなかで湧き上がる思いをとめることができませんでした。もし、あのときに決断していなければ、そのままNHKで働いていたかもしれません。大好きな職場でしたし、ワークライフバランスを持って働くことのできる場所でもありましたから。その時点まで、やめることはまったく想定していませんでした。
ただ、残念ながら、その当時はNHKで子ども番組を作る夢を叶えることが難しそうな状況で。思いきって外に出て、可能性を模索しようと考えました。
── その後、フリーランスとして民放で子ども番組を制作する目標を叶えられました。
久保さん:お話をいただいたときは嬉しかったですね。番組を企画する際は、色鉛筆や虹や風船…子どもの大好きなものを思い浮かべながら、いろんなアイデアを取り込んだり、読み聞かせのコーナーも作りました。
読み聞かせはずっとやりたかったことのひとつ。アメリカの映画「ユーガットメール」のワンシーンに、ソファで子どもたちに読み聞かせをするシーンがあり、ずっと憧れていたんです。子どもの“好き”をめいっぱい番組に取り入れることができて、とても幸せでした。
PROFILE 久保純子さん
1972年、東京都生まれ。大学卒業後、NHKに10年間勤務。2004年からはフリーアナウンサーとして活動。現在はテレビやラジオに出演する傍ら、執筆活動や絵本の読み聞かせ、翻訳を手がけるほか、日本ユネスコ協会連盟の「世界寺子屋運動」の広報特使を務める。2014年にはアメリカにてモンテッソーリ教育の資格を取得。現在は、夫と2人の娘とともに、ニューヨークに在住。
取材・文/西尾英子 写真提供/久保純子