親子で社会から取り残される感覚

── わが子の不登校が続き、吉田さんはどんな気持ちになりましたか?

 

吉田さん:
見た目を気にしない、お風呂も入らず、ご飯も食べたがらない…そんな娘を見て、明るい未来が描けず、毎日落ち込んでいました。

 

「不登校になりたくてなる子はいない」という言葉を本で読み、不登校になる前に娘の気持ちに気づけなかった自分を「母親失格だ」と感じることもありました。

 

── 誰かに相談はしなかった?

 

吉田さん:
今でこそ「頼るスキル」の重要性を伝えたくて本も出していますが、当時は自分の自己肯定感が下がっていたため、こんな話をしたら周りの人を困らせてしまうかなと遠慮してしまっていました。

 

そのうちに、学校とのつながりを失い、ママ友など子どもを介したつき合いはどんどん希薄に。気力を失って塞ぎ込み、SNSを見るのも、同窓会に行くのも嫌になりました。

 

同じ状況の保護者とつながる手段もなく、孤独。まさに、親子で社会から取り残されたようでした。

うちの居心地がよすぎるから?

── お子さんには、どんな対応をしたのでしょう。

 

吉田さん:
初めの頃は、無理に学校へ行かせようとしていました。1回休むとずっと行かなくなるのでは、先生やクラスメイトとのつながりが途絶えるのでは、と恐れていたからです。

 

結果、子どもに「私がつらいと言っても親は学校へ行ってほしいんだ」と思わせてしまいました。

 

娘の様子を見て私も態度を改め、それからは娘の言葉を受け止め、じっくり気持ちを聞いたり、気分転換に外へ連れ出したりするようになりました。

 

うちの居心地がよすぎるから外に出て行かないのでは、厳しく叱ったほうがいいのでは、と悩むこともありました。

 

フリースクールやフリースペース、支援センターなど不登校児の居場所も探しました。ただ、本人が気乗りせず、足を運ぶことはあまりありませんでした。

 

── 周囲がお膳立てしても本人にその気がないとなかなか難しいですよね。そんな娘さんが自ら高校を探してくるまでになったのは、なぜだと分析していますか?

 

吉田さん:
さまざまな本から、保護者が温かく見守ること、家という安全基地で力を蓄えることが子どもの前向きさにつながると知り、できるだけそれを心がけることにしたからではないでしょうか。

 

娘が中3になる頃には、通信制への進学や中卒で働くという選択肢を調べ、それも許容できるようになりました。

 

実際に娘は「うちの中がギスギスしていたら自分も心に余裕を持てなかったし、変わりたいとは思わなかった」と話しています。