2011年にミス・ユニバースの日本代表として世界大会に出場し、現在はモデルとして活躍する神山まりあさん。持ち前の明るさや笑顔がトレードマークですが、「まるでサイボーグだった」というほど自分を見失っていた期間があったそうです。神山さんが本来の自分を取り戻せたきっかけについて伺いました。

ミス・ユニバース世界大会に日本代表として出場した神山さん

恥ずかしがり屋だった幼少期から世界大会へ

── 小さい頃はどんな性格でしたか?

 

神山さん:
英語のスピーチや学校の授業の発言などで、人の前に立つと真っ赤になっていました。小さい頃は「アニー」に憧れてミュージカルに出たかったんです。でも恥ずかしくてオーディションを受けることもなかったのですが。目立ちたいという気持ちはあるけれど、心に秘めているタイプでしたね。

現在の面影が残る小さい頃の神山さん

── 幼少期とは一転して、2011年にはミス・ユニバースの日本代表として世界大会にも出場するという大舞台も経験されました。

 

神山さん:
ミス・ユニバースは、友人と妹の勧めもあって勇気を振り絞って受けました。そこから目立ちたがり屋のほうが前に出てきた感じです。持ち前の負けず嫌いが最大限に発揮された場所でした。でも世界の負けず嫌いはレベルが違っていて。海外生活の経験があるのですが、そこで学んだ、どう自分を出していくかが「まさに今、必要とされている!」と思いました。負けず嫌いの集合体みたいな場所でした。

各国の代表とポーズを決める神山さん(写真右上)

── 世界大会では各国の代表が集まるわけですが、舞台裏はどんな感じなのですか。

 

神山さん:
見た目は仲が良いんですけど(笑)。やっぱりライバルなので、集合写真を撮りますとなれば、センターに行くためにダッシュして真ん中を取る。横に並ぶ場合には手を腰に当ててポーズをするのですが、隣の人よりも肘を前に出すと、より多くの幅を取れて自分が多く写るんです。

 

── 隠れたせめぎ合いが。日本人の女性同士だといかに小顔に写るかで、わざと後ろに下がることもあります。

 

神山さん:
それとは完全に真逆でしたね。常に、前に前に。みなさん国を背負っているというプレッシャーもあるんだと思います。あとは自分の意見をバンバンいうので、部屋の中でも口論とまではいかないですが、何かと論争は起きていました。

 

大会期間中の3週間は、いろいろな国の方と部屋をシェアして共同生活をしました。ドアの外には警備員がずっといて、部屋から出られなかったこともあっていろいろ揉めました。

 

── どんなことが火種になるのですか。

 

神山さん:
物の貸し借りや部屋の使い方とか。文化の違いも、性格の違いもあったと思います。お風呂の使い方については、入る時間や長さで、あなた長いわよって(笑)。「いやいや、うちの国では浴槽に入るんだ」って。

 

いろんな意見を言い合うことで最終的に心が通じ合って仲良くなる子もいれば、思いっきり喧嘩してしまう子もいました。

仲良くなったマレーシア代表が日本を訪れた際に、一緒に浅草観光をする神山さん(写真右)

── 世界大会を振り返ってみていかがですか。

 

神山さん:
未知の世界に飛び込んだ感じがして楽しかったです。こういう人たちが世界にいるんだという発見もあって、世界中に友達がつくれたのは嬉しかったですし、すごく大きな経験をさせていただきました。

「完全に自分を見失っていた」葛藤の数年間

── 順風満帆のように見えますが、華々しい舞台を踏んだ後では悩みが尽きなかったと伺いました。

 

神山さん:
世界大会の前にスピーチやメンタルなどのトレーニングがあって、世界情勢や自分の国の知見を深めていくのですが、常にハイヒールを履いて、アイラインも太くて。横断歩道の歩き方や車の降り方など私生活全てがトレーニングされていました。それを1年間続けていたら、ものすごく「強くて芯のある女性」がつくられたんです。

 

大会が終わってからも、元々どういう生活をしていて、どんなものが好きで、どんな性格だったのかわからなくなっていました。何をしたら心から笑えるかもわからなくて、完全に自分を見失っていて。意見もバンバンいうようになり、常に世界基準でどうかと問いかけて行動する。

ミス・ユニバース世界大会で日本の国旗をイメージした着物を着た神山さん

この葛藤は数年続きました。全然有名でもないのに、意識するようにとトレーニングされていたから無駄に意識しているんです。今思うと完全なる自意識過剰(笑)。私自身が元々完璧主義のようなところがあって、サイボーグのような、鉄の女になっていたと思います。