清原博弁護士
法整備や普及に携わっていたカンボジア時代の清原博弁護士

最近は、婚活やボディビルディングに励む姿も話題の国際弁護士の清原博さん(51)。色黒の顔から繰り出される独特の語り口を、情報番組などで見たことがある人も多いと思います。そんな清原先生が30歳になり渡米し、その後カンボジアで活躍する“全盛期”について語ります(全3回中の2回)。

このままでは「柵のなかの羊」に!

── 30歳になり裁判官、検察官を退職してアメリカに留学しましたよね?

 

清原先生:裁判官も検察官も非常にやりがいのある仕事でしたが、“このままでは、柵のなかの羊だ”“早く世界に向けて飛び立ちたい”と思うようになりました。

 

その悩みを上司に相談すると、早いほうがいいとすぐに退職してアメリカ(サンフランシスコ)に旅立ちました。このアメリカの留学時期が、私の人生でいちばん楽しかった黄金期でしたね。

 

清原博弁護士
暑いなか、来社してインタビューに答えてくれた清原博弁護士

金も仕事もなく、どうしようもなかったけれど…

── ゴールデンゲート大学留学中は、どんな生活でしたか?

 

清原先生:金がない仕事がないと、はためにはどうしようもない状態でしたが、好きな英語の本に囲まれてとても幸せでした。1日14時間、ガムシャラに勉強しましたが、まったく苦痛ではありませんでしたね。

 

アメリカ留学は年間1000万円くらいかかり、学生ビザで仕事ができないので貧乏でしたが、とても楽しい日々でした。

 

── 2003年にニューヨーク州、’04年にカリフォルニア州の司法試験に合格しましたが、1発合格ですか?

 

清原先生:当然です(どや顔)。その後、ロースクールでの研究と同時に法律事務所での仕事も始め、契約書の書き方から交通事故の処理までさまざまな案件をやらせてもらいました。

 

清原博弁護士
現在と変わらない⁉ 32~33歳、アメリカ時代の清原博弁護士

弁護士の世界にも人種差別的な…

── ’07年に日本に戻った理由は?

 

清原先生:ついに、お金が尽きたということですね。法律事務所も見習い程度の給料でしたし。さらに当時は、弁護士の世界も人種差別的というか白人優越主義のような雰囲気があったので、東洋系の私が頑張っていくことは難しいかなとも思いました。

 

── 帰国後にむさし国際法律事務所を開業しました。

 

清原先生:最初はお金がなかったので、とにかくいろいろな案件をこなしてクライアントを獲得しようとしていました。

 

そんなある日、法務省(検察官)時代に仕事をしたことがあるJICA(国際協力機構)から連絡があり、カンボジアの法整備支援をしないかという依頼がありました。カンボジアはポル・ポトによる弾圧で人的インフラも失われ、法律家が7人しか生き残れなかったと言われる時代もあったそうです。

 

JICAから連絡があったときはアメリカから戻って日も浅く、クライアントを多く抱える段階ではなかったので、身軽に行くことができました。JICAとの契約は2年で、その後もカンボジア政府法律顧問として、全部で7~8年滞在して民法や民事訴訟法の土台となる試案づくりを支援しました。

 

清原博弁護士
最近は、ボディビルディングにも取り組む清原博弁護士

貧しい=不幸ではない

 ── カンボジアでの苦労や楽しさは、どんなところにありましたか?

 

清原先生:言葉が通じない難しさや、参考にした日本の民法の概念を理解してもらうのに苦労しましたが、カンボジアの文化に触れることができてとても楽しい日々でした。

 

カンボジアでは私の人生観も変わりました。

 

発展途上国と言われる国はカンボジアが初めてでしたが、貧しい=不幸ではないことがわかりました。みすぼらしい家で粗末な食事をしていても、みなが同じく貧しければ幸せに暮らしているんですよ。そこに、格差ができてしまうと、ねたみなどが生じて不幸ができてしまう。

 

だから、JICAとの契約が終わった後は、月給2万円程度でしたが、カンボジアにはまり(笑)、ずっと残ろうかと思っていました。

いったん、身を引いたほうが…

── 再び日本に戻ることになったきっかけはありましたか?

 

清原さん:事務所の社長から「清原先生、テレビのレギュラーが決まりました」という連絡があったことですかね。週に1回程度でしたら、カンボジアとの往復はできると思っていましたが、このころから日本でのメディアでの仕事が増えてきました。

 

さらに私がいつまでもカンボジアに残っていても、彼らの自立心が芽生えないのではないかと思い、いったん身を引いたほうがいいのではないかと、帰国することにしました。

 

PROFILE 清原 博さん

1970年富山県生まれ。国際弁護士。カンボジア政府法律顧問。むさし国際法律事務所所長。東京外国語大学卒。裁判官、検察官をへて米国留学。 ゴールデンゲート大学ロースクール(法学博士課程)前期課程修了。ニューヨーク州、カリフォルニア州弁護士登録。カンボジアで法整備に尽力。

取材・文・写真/CHANTO WEB NEWS 写真提供/清原博​