「もっとお母さんのためになる活動をしたい」

──そこからすぐ、助産師を目指したのですか。

 

敦子さん:
いえ、当時は子どもたちも小さかったので、まずはベビーマッサージなどの資格を取るなどして妊産婦支援をスタートしました。あとはモデルとして講演会活動などもあったのですが、そうしていくうちに、経験値だけではなくしっかりした根拠と知識を持って話をしたいと思うようになりました。

 

助産師ってお産をしないと触れ合う機会がない職業だと思うのですが、私は自分のお産を通して、助産師さんの寄り添い方や頼もしさを感じて。助産師になったらもっとお母さんのためになる活動ができると思いましたし、自分の発する言葉にも責任や自信が持てると思ったんです。

双子の出産経験もある敦子さん

──敦子さんはご自身の子育てで、どなたかのサポートはありましたか。

 

敦子さん:
私のきょうだいや、ご近所のママ友に助けてもらいました。看護学校に行っているときに、実習があると朝6時には家を出なくてはならないんです。ママ友がファミリーサポートセンター(地域で子育てが必要な方と手助けができる方が相互に行う支援活動)に登録してくれて、うちの子を送り迎えしてくれました。

 

きょうだいが多いから、ママ友の数も多いんです。上の子のママ友は、「もう小さい子に触れ合う機会がないから、喜んで下の子を預かるよ」って言ってくれて。いちばん下の子は赤ちゃんの頃から周りの方に本当に助けてもらいましたね。

 

──モデルの経験を経て、助産師としてキャリアをスタートされましたが、これからの実現したいことはなんですか。

 

敦子さん:
出産と子育てが楽しみになる社会であってほしいと思っています。「やっぱり大変でしょ」と思っている人が圧倒的に多いと思うんです。子育てが孤立していて、お金もかかるし、女性はキャリアも続けられないという、マイナスなイメージが先行していますよね。でもそれ以上に得るものが大きいです。

タンザニアの子どもたちと敦子さん

私は、子どもがいなかったらこんなに社会に目を向けられなかったと思うんです。「子どもが生きていく未来への大人としての責任」という視点が生まれたのは、子どもがたくさんいたからですし、私にエネルギーを与えてくれて、自分の人生を生かしてもらっていると感じています。

 

5人の母親と、モデルの経験と助産師という立場をうまく組み合わせて何かできないかと思っています。私の助産師人生は、40代からスタートしたので20代の方と比べたら残り半分しかないんです。でも残された年数で、いろいろな経験をもとに社会にアプローチできたらいいなと思っています。

 

PROFILE 敦子さん

1978年大阪府生まれ。5児の母。大学生からモデルを始め、ビールのキャンペーンガールやJJ、CM出演などを経験。出産後はVERY、からだにいいことなどで表紙モデルを経験し、国際協力NGO ジョイセフでのタンザニア訪問をきっかけに出産や子育てが楽しみになる社会へ貢献したく助産師を目指す。看護師免許取得、この春に助産師免許を取得し、現在助産師として活動中。

 

取材・文/内橋明日香 写真提供/敦子、国際協力NGO ジョイセフ