人気女性誌の表紙を飾るなどモデルとして活躍していた敦子さんは、この春に国家試験に合格し、現在は助産師として活動しています。5人の母親となって見えてきたという社会の問題や、異業種へとキャリアチェンジした理由について伺いました(全3回中の2回)。

「まさか出産で命を落とすとは…」母親になって知った現実

──元々モデルとしてキャリアをスタートされていますが、どういった経緯で仕事を始めたのですか。

 

敦子さん:
スカウトされて18歳のときからモデルをしているのですが、大学に通いながらアルバイト感覚で始めました。キリンビールのキャンペーンガールという大きな仕事も決まって。

 

モデルの仕事では本当に多くの経験をさせてもらいました。日本各地を回って、いろいろな方に会えて。モデルを仕事として選んだというより、気づいたら生活ができるようになっていて、とりあえず続けてみようかなと。当時、関西に住んでいたのですが、東京のお仕事が増えていったので東京に住み始めました。

 

──結婚、出産後もモデルとしての仕事が軌道に乗っていたわけですが、そこから助産師を目指したのはなぜですか。

 

敦子さん:
雑誌『VERY』のイベントで世界の妊産婦支援をしているNGO「ジョイセフ」の活動を知りました。日本にいると、出産でまさか自分の命を落とすとは思わず、安全なものだと思っていたのですが、世界が変わるとそうではないと知って。

 

長男、次男を出産して、双子を産んだばかりだったのもあって、この事実を知ったからには、なんとかこの活動を広めたいという思いでした。イベントが終わってから「話を聞かせてください、私に何かできることはありませんか」と、次の日すぐにジョイセフの事務所に行きました。

 

そこからジョイセフとの繋がりができて、いろいろなイベントなどにも出させてもらいました。いつか、現地のお母さんの話を聞きたいと伝えていたら、タンザニアで行われた妊産婦のケアハウスの譲渡式に一緒に行けることになったんです。

タンザニアを訪れた敦子さん

──タンザニアを訪れてみていかがでしたか。

 

敦子さん:
母子手帳もエコーもなくて。自宅で子どもを産むお母さんが多く、出産の際に命を落とす方も多くいらっしゃいました。舗装されている道路もなく、歩いて2時間かけて医療施設に来るお母さんや、出産後にも旦那さんが自転車にベニヤ板を乗せて、その上にお母さんを座らせて何時間かかけて家に帰るとか…。

 

電気も水道もない。本当に、ないものが多かったんですけど、すごく子育てが楽しそうだったんです。道端で井戸端会議をしながら、お母さんたちは一緒にご飯を作って、子どもたちは遊んでいて。日本のお母さんたちにないものを持っているなと。

一緒に子育てをする現地のお母さんたち

こんなに楽しく、誰かと一緒に子育てをする姿は日本ではなかなか見られないですよね。お互いにたりないものを支え合える環境があったらいいのにと思いました。

 

ものがあることや豊かな生活があることが、幸せではないというのを痛感したのと同時に、何もなくても周りの環境や友人関係から幸せは作り出せるんだと。ギブアントテイクというより、お互いがお互いのいいところをシェアしていけるようなサポートの仕方ができたらいいなと思いました。

タンザニアのお母さんたちに話を聞く敦子さん