『中居正広の金曜日のスマイルたちへ』(TBS)や、『THE DANCE DAY』(日本テレビ)の出演で、いま注目を集めるダンサーの藤井創太さん。天才棋士の藤井聡太さんと同姓同名の一文字違いですが、ダンス界の藤井創太さんも「100年に1人の天才」と言われるほどの実力の持ち主です。
今回は、そんな藤井さんの社交ダンスとの出会いから、小5で世界チャンピオンになるまでの経緯をお聞きしました。
小1で始めた社交ダンス 毎日通うほど夢中に
── 社交ダンスというと、年配の方が楽しむダンスというイメージがありますが、始めたきっかけは?
藤井さん:先に社交ダンスの教室に通っていた幼なじみに誘われたのがきっかけです。ちょうど家から歩いて10分くらいの距離に教室があって。
── (撮影時に)踊っている藤井さんを拝見して、身のこなしの素晴らしさに目を奪われました。ほかにもスポーツの経験はあるのですか?
藤井さん:僕はダンスは得意だけど、運動神経が並はずれているわけじゃないんです。関節を動かしたりできるのは、小さい頃からトレーニングしているからだと思います。
── 「とりあえず始めた習い事がなかなか上達しない」という悩みはありがちですが、藤井さんの場合はうまくハマったんですね。
藤井さん:そうですね。ダンスの場合はまず、個人レッスンが受けられる環境じゃないと、最初は馴染みにくいと思います。あとは、同年代と一緒に習うことができる環境が必要。教室に仲が良い友達がいて、お互いに支え合えたのは大きかったです。
── 「レッスンに行きたくない」ということはなかった?
藤井さん:子どもの頃は、レッスンが嫌で行きたくないと思ったことは一度もなかったですね。人見知りだったので最初は緊張していたけれど、先生も優しかったし、すぐに馴染めました。最初は週1、2回だったのが、小2になるとほぼ毎日通うようになっていました。
── ダンスはステップなど基礎を覚えるのがとくに難しく、挫折する子も多そうです。どのように克服しましたか?
藤井さん:「ダンスがつまらない」と思わせないレッスンだったんですよ。最初は遊びの感覚でやっていたから続いたのは間違いないです。
ちなみに僕は社交ダンスの教室で、バレエのレッスンも受けていました。バレエの基礎って、どのダンスにもおいても共通する大事な要素なんです。正直、面白くないと感じたこともあるけれど(笑)。その経験がないと、トップには行けていなかったかもしれません。
── 小学校低学年の男の子がダンスを習っているというのは、当時は珍しかったのでは。周囲にからかわれたりしなかったのでしょうか?
藤井さん:僕の周りにはたまたま、そういう子がいなかったんですよね。それもあって、ダンスが嫌っていう感覚はなかったです。教室に行けば、踊ることが好きな子が集まっているので、純粋にダンスのレッスンを頑張れました。
── 初めて競技大会に出場したのは何歳のときですか?
藤井さん:社交ダンスを始めて2、3か月後には、「最初の試合に出てみよう」と声を掛けてもらいました。ダンスの先生が、ダンスを続けるには目標がないと続ける意味もないっていう考えだったんです。だから、僕も自然と「試合出てみたい」と思っていました。
最初の試合は、臨時パートナーと組んで出ました。ダンスを辞めなかったのは、社交ダンスが自分に合っていたのだと思います。
小1で競技大会に初参加、小5で世界チャンピオンに!
── 社交ダンスを本格的にやっていこうと思ったのはいつ頃ですか?
藤井さん:明確に「ここで変わった」っていうのはないけれど、大会に出るようになって、結果が出始めたのが小4で、その頃からかな。小4で全日本チャンピオンになったんです。
── 小4で、ですか!?
藤井さん:はい。小学生の区分で出場してチャンピオンになりました。そのあと、教室の先生から「日本チャンピオンを獲れたんだから、今度は世界に行ってみない?」と誘われて。
まず小5の4月にイギリスで行われた世界大会に出たのですが、決勝に入れて5位でした。世界で5位になれたことが自信になって、同年の10月にあらためてイギリスで行われた大会に出場し、今度は優勝できて世界一になれました。
── 弱冠11歳で世界大会で優勝されているんですね。すごいです!
藤井さん:そのタイミングで、自分の目標が海外に向いたように思います。
でも、ごく普通の家庭で育ったので、習い事にお金をたくさん使えるほど余裕があるわけではなかった。だから、親には苦労をかけたと思います。それを先生も気にかけてくれて、莫大なお金がかかる海外遠征に毎回ついて来てくださっていました。
── 小学生の時点で、親もとを離れて海外遠征に出ていたのですね。
藤井さん:僕はキッズクラスから始めましたが、途中でアスリートコースに進級しました。そこは試合でトップを目指す人のためのクラス。母はそれまでは試合の送迎をしてくれていましたが、アスリートクラスに進級して以来、「自分のことは自分でやる」という先生の教えに従って来なくなりました。その経験もあって自立心が鍛えられたのかなと思います。
── お聞きしていると、藤井さんのご両親はダンスに非常に理解があったんだなと感じます。
藤井さん:多分、母は社交ダンスに限らず、僕になにか夢中になれるものを見つけてほしかったんだと思います。だからこそ、母自身も僕のダンスに真剣になってくれた。
それに、僕がダンスを始めるきっかけになった幼なじみとはお互い良いライバルで、親同士も話す機会も多かったから、ダンスに対しての考え方や方針をシェアができていた。ダンスを本気でやっていくための情報共有ができていたからこそ、ふたりで切磋琢磨してこられたんだと思います。
── 藤井さんにとって、小学生時代の個人レッスンや海外遠征などは必要だったと思いますか?
藤井さん:母は、海外に行くことになったときも、ダメと言わずに「ここまで来たんだね」と喜んでくれました。金銭的な面で海外に行けない子もいるなか、両親は無理をして海外の大会まで行かせてくれた。その経験がなかったら、今の僕はいないと思うんです。
── 友達と遊ぶのが楽しい時期だったと思いますが、寂しくはなかった?
藤井さん:レッスンをまったく嫌だと思っていなかったし、むしろどんどんハマっていったので。普通の友達に「ダンスをやっている」って言ったら「なんのこと?」って思われたかもしれないけれど、世界大会で優勝したっていうのがわかると、「こいつはヤバいやつ」ってなって(笑)。“ダンスの藤井創太”って学校中に知れわたる感じで、嬉しかったです。
── 現在はどれくらいのペースで練習していますか?
藤井さん:週5で練習しています。母から「大学には行ってほしい」と言われて進学したのですが、ダンスよりもやりたいことが見つからなくて…1年で辞めて海外にダンス留学をしました。でも、ちょうど新型コロナウィルスの感染拡大があって、結局留学の途中で日本に戻ってきたんです。
できれば今すぐにでも海外に行きたいですね。現在のダンスパートナーが学校を卒業したら、ぜひ海外で本格的に活動したいと考えています。
<後編>「僕は天才じゃないけれど」ダンス界の革命児・藤井創太「どん底から這い上がって見つめる先」
取材・文/池守りぜね 撮影/二瓶 彩