「競争して手に入れなさい」。現代の日本で男性に求められる「こうあらねばならない」の最低ラインは「正社員でフルタイムで働くこと」で、男性は男性であるがために少年時代から競い合うように求められてきたと、男性学研究者の田中俊之さんは話します。男性だからこそ抱える問題に着目した「男性学」研究の第一人者として各メディアで活躍される、田中俊之(たなか・としゆき)さんにお話を伺いました。

 

田中俊之さん

田中俊之さん

朝から晩まで週5日間拘束され、解き放たれるのが40年後という世界

──  田中さんが研究されている「男性学」とは、どのようなものなのでしょうか。また、研究されるようになったきっかけについて教えてください。

 

田中さん:

はい。簡単にお伝えすると、男性が男性であるがために抱える生きづらさや葛藤をテーマにした学問です。背景として、僕が大学生だった90年代後半には社会学者である上野千鶴子先生がすでにご活躍されており、大学ではジェンダーの授業が一般化されてきていました。大学でジェンダーに関して学ぶ環境があったことが大きなきっかけになっています。

 

また、就職活動期に入り私の周りの男性が一斉に企業への就職を目指し始めたのを見て、定年まで約40年間働き続けることを疑いもせず、当たり前のことだと強く思い込んでいるその理由を知りたくて、男性学の研究を始めました。

 

── 田中さんは「男性が働く」ことに対してどのあたりに違和感を持たれていたのでしょうか。

 

田中さん:

そうですね。学校を卒業したら定年まで働くという当たり前の考え方がまったく理解できませんでした。

 

22歳頃から朝から晩まで週5日間拘束され、解き放たれるのが40年後という世界にみずから飛び込むことも、毎日決められた時間に出社するために満員電車に乗ることも、お昼は決められた時間だけ休憩をとるというスケジュール感も。

 

そのように働くということは多くの会社員の方が、出かけようと思ってもゴールデンウィークやお盆、土日などの混んでいるときに混んでいる場所に行かなきゃいけなくなってしまう。自由が好きな僕には、みんなが同じでなければならない理由がまったく分からなかったんです。

「働くことは当たり前」そうじゃない人を批判することに対する危機感

── 当時、田中さんに対する周りの反応はどのようなものだったのでしょうか。

 

田中さん:

あのときは就職氷河期でもあり、みんな苦労して就職した影響もあったかもしれませんが、みんなが口をそろえて僕の考えが甘いと言っていました。お前が大学院に行って自由にやれているのは俺たちが真面目に働いてるからだと、ついこの間まで一緒に自由に過ごしていた先輩や友人が言うのです。

 

「働く」ということを強く認識して、そうじゃない人を批判し始めたことにすごく危機感を覚えました。

 

農業ばかりしていた日本人が会社に雇われて働くことが一般化したのは高度成長期以降のはずで、この短い期間にどうやって「働く」ということを強く思い込ませて、当たり前にしてしまったのか。この洗脳システムを解き明かすのは学術的にも個人的な関心としても、ライフワークとしてやる価値のあるものだと僕は思っています。

「考えないで済んでいることの特権制」を問う

── 多くの男性は生きづらさを感じているのでしょうか。

 

田中さん:

たとえば男性で主夫をやっているなど、現代ではマイノリティとされる方は生きづらいと感じることが多いかもしれませんが、ほとんどの男性は今の働いている状況が当たり前と思い込んでいるので、生きづらいとは感じていないはずです。社会の中で優位に立つ男性ほどその傾向が強いように思います。

 

僕も生きづらさを研究しているという意識はなく、そうした社会のしくみを研究しているという感じです。

 

── 今の社会のありかたを「当たり前」と思い込んでいると、生きづらさは感じないのですね。

 

田中さん:

はい。たとえば、「定年退職者」という言葉には性別に関する言葉はひと言も入っていないのに、おそらく多くの方が、男女関係なく、皆さん自動的に「おじさん」を連想するのではないでしょうか。それは、女性が定年まで働くということをあまりイメージできていないのだと思います。

 

もちろんこれから女性の定年退職者も増えてくるのでしょうが、マジョリティの家族であればあるほど現実とイメージが同じなので、違和感を感じませんし、わざわざそのことについて考えることはしません。

 

僕のように男性だけがフルタイムでずっと働くのはおかしいと思っている人や、典型的なパターンから外れている人、その家族の人たちはそのことについて考えざるを得ません。

 

ある意味では「考えないで済んでいることの特権制」みたいなものがそこにはあり、それを問わなくてはいけないと感じています。現代社会のこの構造は、男性だけではなくて、実は女性や子どもも含めてみんなで支えてしまっている構造でもあると考えています。

「あっという間」で「残念だった」と言う定年退職者

── 男性がフルタイムで定年まで働くことに対して、具体的にはどのようなところに危機感を持たれていますか。

 

田中さん:

研究の中で、定年退職者へ「四十年間働いてどうだったか?」という聞き取り調査を行っているのですが、「あっという間だった」と答える方が圧倒的に多いんです。続けて「あっという間でどうだったか?」を聞くと「残念でした」と返ってくる。

 

定年退職者の方々のほとんどは、実際に人生80年の半分が「あっという間だった」と感じています。男性は働きさえすればよいと信じて疑わず、そのことによって現役の時に失ったものもあったのではないかと僕は考えます。そのように過ごすと、定年退職後に「仕事がなくなったら、友達もいなければ趣味もない」みたいなことになりかねない。

 

定年退職後に大事なのは「きょうようときょういく」と言われていますよね。これは「今日用事があって、今日行くところがある」という意味なのですが、現役時代に、たとえば家庭や地域のことだったり、自分のやりたいことなどを考えずに生きてしまうと、退職後に何もなくなってしまうのではないかと思うのです。そこに警鈴を鳴らしていきたいです。 

日本社会は男性が働いて、女性が育児した方が家計が潤う構造

── そう考えると、女性は良くも悪くも人生の様々なタイミングで立ち止まらざるを得ないことが多いように思いますが、男性はそんな機会がないまま働き続けて、定年を迎える人が多いように思いますね。育児介護休業法を改正したように、制度を充実させて男性が立ち止まる機会を増やすことが大事なのでしょうか。

 

田中さん:

男性をサポートするサービスなどはあるのですが、根底の問題として、残念ながらまず「関心が向かないから情報を取りに行かない」ということはあると思います。

 

たとえば、全国どこにでも「男女共同参画センター」がありますが、自分の地域にそういった施設があることを知らない人が多いですし、聞いたことはあっても、どこにあるのか、自分が対象とされているのかも分からない。

 

制度があってもプッシュしてあげないと情報を自分から取りに行く人がいないという側面がかなりあるように思うので、育児介護休業法の改正については意味があると思います。

 

しかし男性は「いかに効率的に働いていっぱいお金を稼げるようになるか」みたいな話であればきっと関心が高いと思うのですが、育児サポートに関する情報が出てきても「お金が稼げる」という情報ではないので価値がないと判断してしまうのではないかと思います。

 

これは、男性というのはこう、という話ではなく、日本の場合、男女がフルタイムで働いても、賃金格差は男女で107程度といわれています。それは、男性が働いたほうが多くの家庭にとってはお得で、女性が育児した方が家計が潤う構造なので、そう考えてしまうのだと思います。

田中俊之さん

田中俊之さん

家庭においての夫婦平等の大切さ

── あらためて、男女平等は女性と男性の双方が生きやすくなるために大切なことなんですね。田中さんが考える本当の意味での男女平等とはどういう状況でしょうか。

 

田中さん:

本当の意味での男女平等というのはすごく難しいですね。やはり根本的な問題としては、日本社会においては男女の賃金格差を是正していくことが、男女平等にとって必要不可欠な条件です。昨年厚生労働省が昨年行った賃金構造基本統計調査によると、女性の平均賃金は月25万3600円で、男性の賃金の75.2%です。

 

僕が抱えているような男性の生きづらさも男女が平等にならないと解決しないといつも思っています。ただ、賃金格差をなくすことは今すぐに成し遂げることは難しい問題です。

 

そこで皆さんにお伝えしたいことは、「我が家はこうだ」というものをつくることから始めませんか、ということです。賃金も含めて確かに社会は不平等かもしれないけれども、家の中まで流される必要はなくて、「自分の家はこうだ」というものを打ち立てることが大事だと思うのです。

 

その為には夫婦がフェアでないと成立しません。どちらかの意見が強すぎるとこういった価値観が育ちにくいので、夫婦が対等に話し合えることが重要ですし、社会全体が不平等な中で生き抜いていくためにも「夫婦の平等」がとても大事なことなのではないでしょうか。

 

── 自分のいちばん身近な社会である家庭の中から本当の意味での平等を成り立たせていくということでしょうか。

 

田中さん:

そうですね。ただ、実はこの夫婦の平等にも社会が悪い影響を与えていると感じることがあります。

 

残念ながら我が家もしてしまったのですが、結婚式でよく行われる「ファーストバイト」。これは女性は男性に「美味しいご飯を食べさせます」という意味で、男性は女性に「その為に家計を支えるよ」という意味で行われている儀式だそうです。 みなさん意識していないと思うのですが、結婚式自体が性別役割の分業を助長しかねない儀式になってしまっています。

 

今は恋愛結婚をされる方が多いかと思うのですが、恋愛ってそもそも不平等なもので、その中で駆け引きをして楽しく恋愛をして結婚するのですが、結婚というのは平等でないと良い関係がつくれない。なので、結婚式が、平等な夫婦になるための儀式になってもよいのではないかと思っています。

 

── 最後に、先生のご家庭で夫婦間がフェアであるために意識していることを教えてください

 

田中さん:

僕ももっと頑張らなくてはいけないのですが、「きちんと相手に敬意を払う」ということと「自分も変わる」ということでしょうか。

 

不満があるときほど相手に変わって欲しかったり、自分に敬意を払ってもらいたかったりするのですが、それはお互いに尊敬し合わなければ成立しません。相手に変わって欲しいのであれば自分も変わる余地を持つべきですよね。それがフェアな夫婦関係を築く上でのポイントだと思っています。

 

そういうことを僕が言っている記事などを妻が読み、「うーん?」と首を傾げているので、実際に僕がしっかりできているかというと難しいのですが、頑張ります(笑)。

 

PROFILE 田中俊之さん

大妻女子大学人間関係学部准教授。男性が抱える悩みや生きづらさについて考える「男性学」が専門。著書に「男が働かない、いいじゃないか!」などがある。夫婦共働きで息子2人を育児中。

取材・文/渡部直子 写真/PIXTA 写真提供(本人写真)/田中俊之さん