今や誰しもが知る日本の銘菓・豊島屋の鳩サブレー。その歴史は120年以上と古く、日本全国の人々に広く知られています。「鳩サブレー」のルーツや歩み、これからについて、広報の宮井さんに教えてもらいました。
創業当時の主力商品は今も残る「瓦煎餅」
—— 豊島屋はどのようにして誕生したのですか?
宮井さん:
初代店主の久保田久次郎が、明治27年(1894年)に創業しました。初代店主は神奈川県の藤沢に三兄弟の次男として誕生。兄は豊島屋の屋号で菓子屋、弟は砂糖問屋をしていたそうです。その影響からか菓子屋をやりたいと思うようになり、隣町の鎌倉で商売を始めたと聞いています。
—— 創業当初はどのような商品を販売していたのですか?
宮井さん:
豊島屋は「和菓子屋」として創業しました。創業当時の看板メニューはおまんじゅうや、武家屋敷の屋根をモチーフにした「古代瓦せんべい」です。
3年後の明治30年(1897年)頃に「鳩サブレー」が誕生。とはいえ、「鳩サブレー」はその後10年にわたって売れない不遇の時代があったので、その間は「古代瓦せんべい」が主力商品だったのだと思います。
その他にも、大正になると「小鳩豆楽」という落雁のお菓子、昭和43年に寺の石段をモチーフにした「きざはし」が生まれました。いずれも今もお店で販売していて、多くの人に愛されています。
本店に足を運んでくださって店舗のディスプレイを見ていただけると、年間約100種類の和菓子が並ぶ店であることを納得していただけるかと思います。今も季節商品も含めて50種類以上の和菓子を販売しています。
「鳩サブレー」は和菓子?それとも洋菓子?
—— ケーキなどの洋菓子を取り扱うようになったのはいつ頃ですか?
宮井さん:
大正10年(1921年)頃から売り出し始めたと聞いていますが、資料が関東大震災と共に焼けてしまったため詳しいことはわかっていません。
以前は和菓子も洋菓子も同じ店舗で販売していましたが、2015年には豊島屋の洋菓子専門店「豊島屋洋菓子舗 置石」をオープンし、ケーキやエクレアなどの洋菓子はそちらで販売するようにしています。
—— なぜ洋菓子と和菓子を分けて販売するようになったのでしょうか?
宮井さん:
そもそも和と洋では暦がまったく異なります。和にはひな祭り、こどもの日、七夕などのイベントがあります。一方、洋のイベントはバレンタイン、ハロウィン、クリスマスなどです。
これらのイベントに合うお菓子を同じ店舗で売り出すと、どうしても洋の暦のほうが、派手さも加わって目立ちがちです。そのなかでは、和の魅力が伝わりづらくなってしまいます。そこで和と洋は完全に分けることにしたのです。
また、置石では"あの焼菓子"を、ソフトクリームに練りこんで出しています。
—— お客さまのなかには「鳩サブレー」は和菓子ではなく洋菓子と思っている人も多いのではないでしょうか?
宮井さん:
おっしゃる通りです。デパートでも「和菓子売場」で鳩サブレーを販売していますが、洋菓子売場へ行ってしまうお客様も多くいらっしゃいます。
名前に「サブレー」とありますし、サブレ自体はフランスのお菓子です。そういった意味では洋菓子と思うかもしれませんが、我々のなかでは「鳩サブレー」のくくりはあくまでも和菓子です。
—— 「鎌倉生まれ、鎌倉育ち」の側面が強く、もはや「洋菓子」とは言い難い部分もあります。
宮井さん:
そうですね。今は鳩サブレーが豊島屋の主力商品ですが、今でもそうですが豊島屋は和菓子店で、そのなかで鳩サブレーが誕生しました。しかし、「和菓子」や「洋菓子」といったくくりを超えて、「鎌倉のお菓子」「鎌倉の味」として皆さんに親しんでいただいている気がします。
地方区のお菓子であり続けるこだわり
—— デパートの店舗を含め、神奈川と東京にしか店舗がないのは理由があるのでしょうか?
宮井さん:
鎌倉を中心に現在、8つの直営店があります。販売店はデパート含め、神奈川と東京だけに限定しています。
これは我が社の方針で、豊島屋のお菓子は全国区のものではなく、地方区のものでいいと思っています。 つくるものも売るものも、我々の目の届く範囲でとどめたいという思いがあるからです。
また、豊島屋は鎌倉が観光地であったために、多くの恩恵を受けてきました。街に育ててもらい、大きくなりました。そのためこれからも恩返しをしていきたいという気持ちが強いです。今後も他の地域への販売拡大は考えていません。
—— 鎌倉への愛情が伝わってきます。以前、鎌倉の海岸の命名権を獲得されたこともニュースになりました。
宮井さん:
10年前に、鎌倉の海岸3か所の命名権を市が販売した際に、弊社が命名権を獲得しましたが、そこには市民に長年親しまれた海岸名を変えたくないという、社長の思いがあったからです。海岸名を公募した際にも、「名前を変えないで欲しい」という意見が多くあり、社長も同じ思いでしたので、その声を採用させていただきました。
これからも豊島屋は鎌倉の人々のために、鎌倉の街や文化、資源を大切に守っていきたいと思っています。
取材・文/酒井明子