中学生のトニーニョくんと3人で暮らす、漫画家の小栗左多里さんとジャーナリストの夫・トニーさん。
夫婦で子育てをしていくなかで「異文化で育った者同士はどうやったら折り合えるのか?」と試行錯誤した経験から感じたことや自分の幼少期の体験を、それぞれに語ります。
今回のテーマは「子どもとテレビ」。トニーニョくんが生まれてまもない頃から、トニーさんが子どもとテレビの最適な関係を目指し奮闘した経験について振り返ってもらいました。
テレビがないわが家で、なぜ僕が「パパ・キュレーター」を目指したか
子どもにテレビをどのくらい観せていいのか?わが子が生まれて、さっそく調べてみたのだけれど、米国小児科学会が提唱している指針を見て驚いたのを覚えている。
当時「2歳までは1日0時間」と言われていた。つまり、テレビは見せない(!)。そして、2〜5歳の子は1日2時間まで、と推奨されていたのだ(現在はこの基準は緩和されているようだが)。
幼児・児童は、脳の発達のために他の子どもや大人との積極的な関わり合いを必要としており、テレビがその機会を奪っていく、というのが学会の見解だ。その危険性は理解できるが、1日0時間〜2時間って!?
ちなみに、これはテレビだけの話ではない。画面はあらゆる画面を指すから、スマートフォンやタブレット、ゲーム機、パソコンも対象だ。
でも、近代の住まいはデバイスだらけ。子どものあらゆる画面へのアクセスをどうしたら制限できるのだろうか?
「わが家の“パパ・キュレーター”になろう」と決意
父親としてこの問題に本格的に対面したのは、息子が小学校にあがった頃のことだ。当時のアパートには画面のついたデバイスが数えきれないほどあり、明らかにどれもが子どもを誘惑していた。幸い、住んでいたのはドイツの首都、ベルリン。ベルリンのどこがいいか?ひと言で言うと「大人が子どものために“キュレーター”になりやすい街」ということだ。
普通、キュレーターと言えば「博物館で何をどのように展示するかを決める人」を思い浮かべるだろう。確かに、職業となると「キュレーティング」(動詞)はそんな感じの意味合いだ。
でも、語源で言えば、キュレーティングとは精神的ケアを担うこと。何も博物館に限定した話ではない。そんなわけで、子育て中の僕は、小さなわが家で「キュレーター」になってみた。言うなれば「パパ・キュレーター」だ。
図書館のAVコーナーに足繁く通った理由は
ベルリンでキュレーティングを始めるために、図書館まで足を運ぶ。数々の本のコーナーを通り抜けて、さっそくAVコーナーへ。ここにはドイツの白黒無声映画からハリウッドの最新作まで、さらにドキュメンタリーや人気番組も、あるとあらゆるものが揃っている。媒体は、DVD。そしてVHSテープ。DVDにVHS!?
そう、この街ではストリーミングばかりでなく、古い媒体がまだまだ出回っている。当然こういう形でメディアを楽しむためには、機械が必要。そこでわが家も、図書館のAVコーナーを意識して、小さなDVDプレーヤーを買った(さすがにVHSデッキは見送った)。
なぜDVDにこだわるか?それはまさしく「キュレーティング」のためだ。普通のテレビ、あるいはYouTubeの場合もそうだが、子どもが流れてくるコンテンツを次から次へ、さらにもう1つ…という感じで、どうしても視聴を続けてしまう。それに対して「DVDプレーヤー+図書館」だと、子どもの視聴する内容と視聴量に対して計画が立てやすい。
図書館の常連になった結果…意外なメリットも
さらに、コミュニケーションが生まれる。1週間、1か月分の視聴内容を親子で決めていくので、その分、親子の間で意見や感想を交換し合える。
さらに図書館のスタッフと子どもとの間でも、人間関係が形成される。子どもが図書館で常連になれば、図書館員に名前を覚えられ、「次にこれ、どう?」とか「それ、面白かった?ところで、その原作の本はこちらの棚にあるけど」と、ためになることを伝えてくれる。
今、多くの子どもは0歳からスマートフォンやタブレットに接して、エンドレスに刺激されている。「DVD+DVDプレーヤー」という前時代の技術に戻ることで、「1枚90分×2回」という具合で、ある程度子どもの「メディア・オーバーロード(メディア過多)」に対抗できると思っている。
そう、キーワードは「キュレーティング」なのだ。