富永京子

「仕事も子育てもしんどい」「なんかモヤモヤする…」そんなとき役に立つのが「発信」であり「わがまま」だと社会学者の富永京子さんは話します。

 

連載インタビュー、最終回では、多忙な生活において自分を失わない方法と、自己主張の意味について伺います。

自分をつくるのは「発信」である

── 以前、ラジオで「発信が自分をつくる」と言われていたのが印象的でした。育児について語ること、仕事や社会問題について発信していくことが、自分を構築していくという趣旨でした。

 

富永さん:

テレビやラジオに出続けることで自分がどう変わったか、どういう発言が増えたか、という論文を書いて学会で報告したときの放送ですね。

 

その時点では、「これは個別的な経験であって、誰しもがテレビやラジオに出演するわけではないから、研究としてはあまり価値はないかな」と考えていました。でも、ある研究者に「すごく現代的だと思いますよ。SNSによって自己を構築し、自己に縛られている人はいくらでもいるじゃないですか」と言われたんです。

 

確かに、学生を見ていても、自分がつくり上げた自己に縛られているなと感じることはあります。逆もしかりで、SNSと上手に距離を取りながらうまく自己表現できている方もいますね。

 

これは社会運動をする人にも当てはまるなあ、と感じることはすごくありました。最初は何にこんなにモヤモヤしてるんだろう?とわからなかったり、考えがまとまらなかったとしても、何かしら言葉を発していくことで、その発言が自己の一部となっていく。

 

デモのように威勢のいいものだけではないんです。社会運動に対する署名といった小さなことでも、その行動によって変わっていきます。

 

── 発信する職業についていなくても、言動によって、後から自己がついてくるんですね。

 

富永さん:

戦前からある社会運動で「生活綴方運動」があります。職場とか、家庭のなかで起こった日々の出来事を、みんなで書くだけなのですが、だんだんと書く内容が社会に対する問題提起になったり、自己の深い内省に関わるようなものに変わっていくんです。

 

書くことは、「自分をつくる」という点でとても有効なのかなと、そういう運動を見ていて思ったというのはありますよね。

 

今までのお話に引きつけて言うと、親だけど親じゃない自分も大事にしたい、みたいな欲求があるとする。じゃあどうやって大事にするかっていうと、何かを書くことがいい、みたいな言い方はできるかな。育児で毎日あっという間だろうから、意識的に書くのがいいとは思います。多忙であっても自分を見失わずにすむかもしれないですね。

 

── 書く手段は、日記もありますし、現代においてはSNSもひとつの手ですね。

 

富永さん:

広く公開するのに抵抗がある人は、鍵つきアカウントで自分だけのために残すのがいいのかもしれませんよね。読み返すことで自分のなかの思いも寄らない優先順位だったり、自分ってこう考える人なんだ、というのも見えてきたりするかも。

 

自分の変節がわかったり、過去の自分の言葉に救われることもあった気がしますね。

解像度の低い世界がリフレッシュに

── 富永さんはどういった方法で自己と向き合っていますか?

 

富永さん:

自己と向き合うっていうと大げさなのですが、産後とくにやっていてよかったなと思ったのは、2年前から毎週続けている朝の読書会ですね。

 

だいたい定例メンバーなのですけど、研究者に限らず、特定の本をその日までに読んできて、スカイプ上でその内容について感想を言ったり議論したりしていきます。産前から変わらない関係のなかでできる安心感もあるんだけど、読書や本に関する議論って自分の当事者性を問われづらいからそれもいいのかな。

 

あとはアフタヌーンティーに出かけたり、バカ話のできる男友達と遊んだりする時間は、原点回帰になっています。どんな原点回帰なんだよって話なんだけど。

富永京子

── バカ話ですか?

 

富永さん:

女友達といるのも楽しいですが、繊細すぎちゃうのかも。シスターフッドなんだろうと思うけど、お互いに気を遣いあうから、それぞれの立場を慮っちゃうところがあって…慮るってことは差異を細かく認識せざるを得ないっていうことでしょう。それは大事なことなんだけど、もっと雑なというか…。

 

── 異性だと気がラクというのはありますね。

 

富永さん:

女友達ならではの気遣いに癒やされることも、もちろんあるんですが、もう少し解像度の低い世界にいたいときもあるんですよね。男性がみんなそうではないのでちょっと雑な言い方で申し訳ないんですが、「ザ・居酒屋」みたいな、そういう世界も私のリフレッシュになっています。

子どもの発信については保留中

── 出産は公表されましたが、今後はお子さまのことを、発信していかれるのでしょうか?

 

富永さん:

難しい質問です。

 

私はインタビュー調査をベースに研究をしていますが、集めた情報は表に出していいか否か、取材相手に確認するのが基本。でも小さな子どもは、確認が取りづらいんですよね。将来どうなるかもわからないですしね。

 

今までは社会運動に参加する若い方に対してそうした配慮をしてきましたが、わが子となるとどう扱っていいのか…。

 

「自分の意図せざるところで、自分について語られること」について、どこまでが許容範囲なのか、もう少し注視する必要があると感じています。子どものおもしろエピソードとか、他の方が書いたり、言ったりしているのを見るとおもしろいなとは思うし、否定するつもりはまったくないんです。ただ、自分にできない理由があるとしたらそこが大きいですね。

 

── なるほど!その視点はありませんでした。

 

富永さん:

私は、わが子を「私の所有物」ではなくて、「社会性を持った存在」と考えて、ちょっと頭でっかちになりすぎなのかな。慎重になっていますが、正解はないんですよね。今後時代が進めば変わっていくのかもしれませんが、まだ親自身の判断に委ねられている部分だと思います。

 

なので、出産は公表しましたが、それ以降、自分から子どもについての発信はとくにしていません。

愚痴も自己主張の「芽」になる

── ご専門は社会運動論ですが、世界に比べて日本人は社会運動への参加率が低いですね。

 

富永さん:

日本人が社会運動に対して、ある種アレルギーのようなものがある理由のひとつは、自己主張に対する抵抗感です。

 

社会運動については「みんな我慢しているのに」「あえておおごとにするなんて、なんかわがまま」「代替案なしに批判だけするなんて」という声をよく聞きます。

 

── 社会運動に対する世間の反応を冷静に受け止めていますね。意外です。

 

富永さん:

そうですね、私は社会運動はしていません。だから「社会運動をしていないのに社会運動の研究をしているのか」と言われることはしょっちゅうです。

富永京子

でも、外から見ていて思いますけど、社会運動の過程ってすごくクリエイティブなんですよね。社会運動をしている人は「とにかくやってみよう」「声をあげてみよう」と言います。日々の生活で感じていることを行動に結びつける創造性がすごくて、そこに惹かれて研究をしていますね。

 

例えばですが、社会運動ってデモとか陳情とかだけではなくて、「(環境によくないから)割り箸は使わない」「(性的マイノリティを無自覚に傷つけてしまうから)恋人に対して彼氏・彼女という言葉は使わない」など、彼らの言動は、自分たちの生活こそが政治や社会問題につながっているということに気づかせてくれます。

 

身近な問題が、社会につながっているのを実感するのって悪くないですよ。

 

これまでも多くの「不平・不満」をエネルギーとした社会運動が、社会を生きやすい場所に変えてきました。一見わがままに映るかもしれませんが、「不平・不満」を訴えることは、私たちの社会において、苦しみや痛みを一方的に誰かに押しつけないために絶対必要なものです。

 

でも、不平や不満を感じる、声を上げるっていうことも、やっぱりトレーニングしなきゃわかりませんよね。税金がちょっと上がっても「まあそんなもんだろう」と感じちゃうし。ぼんやり「給料安いなあ」と思ってても、じゃあどうすればいいんだって話になるし。

 

── 自己と向き合うことが、社会に目を向けることにもつながりますね。

 

富永さん:

いきなり職場で立ち上がって「賃金を上げて欲しいです!」と訴えるのってめちゃめちゃ勇気がいるし、根回しが重要な職場だったりするとほぼ相手にされませんよね。

 

でも同僚や友達に愚痴ると、仲間ができるかもしれないし、自分の不満がどこにあるのかもっと細かいレベルで見えてくる。それが、自己主張の「芽」となり、職場環境を改善する意識につながります。

 

星占いを見てラッキーアイテムを身につけるつけないっていうレベルの話でもいいんです。その選択ひとつとっても、スピリチュアルなものを信頼するかしないかという意思表明にはなるわけで。

 

職場の愚痴でも、鍵つきアカウントで日々の記録をつけるのでも、ラッキーアイテムでも、自分の発信や行為を見つめてみると「自分はどうありたいのか」「何に不満を持っているのか」が見えてくると思います。

 

そうしてうまれた自己主張が、自分だけではなく誰かの苦しみも救うかもしれません。このインタビューも誰かを救っているといいんですけどね。どうかな〜。

 

PROFILE 富永京子さん

1986年生まれ。日本学術振興会特別研究員などを経て、現在、立命館大学産業社会学部准教授。社会学的視角から、人々の生活における政治的側面、社会運動・政治活動の文化的側面を捉える。著書として『みんなの「わがまま」入門』(左右社)、『社会運動のサブカルチャー化』(せりか書房)、『社会運動と若者』(ナカニシヤ出版)。

取材・文/夏野久万 写真/河内彩