男性の「育児トーク」は、なぜ「イクメン」などと好意的に受け止められるのか。自分の子どもを育てているだけなのに…。と、モヤモヤしたことのある人もいるかもしれません。
「わがままを発信する重要性」を社会学として研究している富永京子さんへの連載インタビュー、全3回の第2回では、「男性の育児トークやキラキラ言説の意義」についてお聞きしました。
育児トークをする女性研究者が少ない現実
── 妊娠中、同業者のSNSをよくご覧になったそうですね。
富永さん:
出産することが決まってから、子どもがいる同業者のSNSを結構注意深く見てみました。
「男女問わずみんなすごい育児やってんだな〜」というのが正直な感想で、みなさんを改めて尊敬しました。
同時に、育児をしていることをどう表に出していくかが、結構難しい問題なのかなとも感じました。
── どういうことですか?
富永さん:
同業者で、子どもの成長を屈託なく話したり、SNSにアップしているのって男性が多い印象を受けたんですよね。
反面、女性研究者の方は、育児トークをみずからあまり繰り出していないのが気になりました。世代にもよるかもしれませんが…。言うにしても、男性はわが子のおもしろエピソードとか、ハッピーな感じなのに対して、女性の場合はちょっと違う重みとか複雑さがあるというのかな。
── それはなぜでしょう?
富永さん:
まだうまく答えは出ていませんが、重圧や意識の差異なのかな…と感じています。
私が出産を公表した記事を読んで、「妊娠を明かしたら、師匠に破門されるんじゃないかと不安になった」「出産したことを告げたら博士号をもらえなくなるのではと思った」という経験を書いてくださった女性研究者の方が結構いらしたんです。
研究者に限らず、自分で裁量を決められるタイプの仕事ってどんどん突き進めてしまえるんですよね。人によっては「もっと頑張らなきゃ」「もっと邁進しなきゃ」と思ってしまう。プライベートを捨てた者勝ちみたいな思考になってもおかしくないわけです。
妊娠・出産は、個人差があるとはいえ、年齢に上限があるという言説は根強くありますよね。もっと頑張らなきゃ、邁進しなきゃと思っているのに、妊娠・出産によってどこかで立ち止まらざるを得なくなる。妊娠・出産は、嬉しいことなんだけど、「進まなきゃいけないのに止まらなきゃいけない」という意味では、私にとってネガティブな印象を持ってしまう経験でもありました。
── そうした不安や葛藤がある方もいるんですね。
富永さん:
私たちの不安や葛藤とは裏腹に、実際周囲は歓迎してくれるわけですよね。破門とか博士号を与えないとか、そんなことがあったらパワハラですから多くの場合ないだろうと思います。
でも女性にそう感じさせる何か、重圧のようなものが、研究の現場にはあったんでしょうね。
そうした重圧の内面化が、女性研究者に長らくあった一方、男性研究者は子育てをしていると周囲に好意的に受け止められています。「イクメン」という言葉に象徴されていますよね。
男性研究者にも子育ての負担の重さはもちろんあるでしょうけど、「出産を公表して破門されるのが不安」みたいな重圧とはちょっと異なる。だから発言も、出産を控えた女性側の私から見ると、屈託がなく、ポジティブに感じられるものが多く見えたのかもしれません。
── 男性研究者の意見を聞く機会はありますか?
富永さん:
もちろん、男性研究者の方からも同じような想いは聞いています。「子どもができて、もう俺終わったと思った、俺の座る席なんてないと思った」「今までのような働き方はもうできないと感じた」というお話ですね。
ただ、女性研究者が感じた「破門される」「博士号をもらえない」とは本当に微妙な差だけど違いますよね。女性研究者の方が「席を与えてもらってる」感が如実です。
女性の働く環境が整った後の課題
── 女性の社会進出は進んだと言われていますが、やはりまだ生きづらさを感じる場面がありますね。
富永さん:
50〜60代の女性研究者の著書を読んでいると、本当にダブルバインドのなかで苦しんできたことがわかります。
佐久間亜紀先生の『アメリカ教師教育史』(東京大学出版会)という本のあとがきには、非常に衝撃を受けました。
研究員に採用されたとき、「妊娠したらどうすればよいですか」と事務局に問い合わせたら、「産休制度はありませんので、その場合は辞めていただきます」と言われ、初めて職を得たときは、「子どものいないあなたに、教育の何がわかる」と問われたと書かれていたんです。
── 働く女性が今よりずっと少なかった時代ですね。
富永さん:
制度的な保障もなく、理不尽な言葉をダイレクトに投げられた世代からすれば、私たちはだいぶ恵まれていると思います。
でもだからといって、いまは恵まれてます、めでたしめでたし、とはならないんじゃないですかね。男女間の意識の差異みたいなものは依然としてあるのではないかなと。
── 具体的にどういったことでしょうか?
富永さん:
男性研究者の育児トークという点で興味深かった本に、工藤保則先生の『46歳で父になった社会学者』(ミシマ社)があります。
この本がすごいのは、ご自身のお連れ合いが妊娠によっていかに多くのものを失う恐怖にさらされてきたか、ということを冒頭でかなり紙幅をさいている点。
「会社に、いつ言おう」「また“半人前”に戻っちゃう」「不安ばっかりで。赤ちゃんのこと、素直に喜んであげられなくて」という妻の不安と、子どもができて「ただただ、うれしかった」と感じたご自身のギャップが、そのまま書かれているんです。
── とても共感できるエピソードですね。
富永さん:
工藤先生は、このお連れ合いの恐怖の上に、ご自身の「うれしい」が成り立っているということをものすごく綿密に書いていらっしゃいました。
制度が整備されて、環境が良好になったから、女性も働きやすくなったでしょ、ではなくて、そうした意識の差異はまだあるなあと感じています。
マイノリティって、社会の席をマジョリティに与えて「いただいている」立場なんですよね。女性研究者の方の「破門されるかも」「博士号もらえなくなるかも」ってまさにそれです。
あまり対立構造で捉えたくないけど、そうした人々の不安や葛藤の上にマジョリティの安定した地位、変わらなくていい立場があるわけです。一部の男性の立場は、「処遇が変わってしまうかも」、「研究、仕事を断念せざるをえないかも」という女性たちの恐怖の上に成り立っているのかもしれません。
男性の育児トークの社会的意義
── では、男性は「育児トーク」は、あまりしないほうがいい?
富永さん:
いや、努力していること、その面白さを言っていくのは絶対大事です。それまでされてこなかったことで、社会で理想とされているなら特に。
男女問わず、あまり適切な表現じゃないかもしれないんですけど、「キラキラ言説」というか、ちょっと現実味が薄かったり多くの人には難しいことでも社会の理想像を発信する人には、社会を変える力があると思うんですよね。
なぜかよく覚えているのが、国際女性デーの、ある人気女性アナウンサーの方の記事です。
妊娠するかもしれないから番組のメインキャスターを引き受けるかどうか悩んだけど、「プロデューサーから、あなたが子どもを授かって番組に帰ってきてくれたら、それは番組にとってプラスになる」と言ってもらえたので決意ができたという趣旨でした。
国際女性デーの記事だから女性のエンパワーメントのために書かれているわけで、こういう記事に励まされる人はもちろんたくさんいると思います。
ただ当時の私は「人気者のあなただから待ってもらえるのであって、育休後同じポジションに戻れる恵まれた人ばかりじゃない」という気持ちで受け止めてしまったといいますか…。「きれいごとではないか?」みたいな。
でも本来は、どんな仕事であっても、産む人を待っていてくれる職場が理想なはずですよね。このプロデューサーの言葉も、誰もが職場でかけてもらえればそれが一番いいわけで。そう考えると、きれいごとでも、それを言える立場の人がまずは言っていく必要があるんだろうな、と今は思います。
そういう理想形があれば「うちだってこんな職場にしてよ」みたいな問題提起につながるかもしれません。
── 確かにSNSでの炎上がきっかけで論争が深まる場面はありますね。
富永さん:
誰かがこうした発信をしなければ、議論もできないし、語りの型も増えないという感じなのかな。
男性の育児トークも、人気女性アナウンサーの「職場が待っていてくれる」も同じで、恵まれた人が無邪気に、あるいは意図的に何かを発信してくれないと、男性の育児も、育児にやさしい環境も広がっていかないんでしょうね。
それこそ「語りづらい」で終わっていたら語りの型って増えていかないし、ロールモデルも見えてこない。
正直私も「男性の育児トーク」「キラキラ言説」にはモヤッとすることもあります(笑)。ただその社会的意義はあなどれない。
それぞれが、互いの立場を踏まえつつ、「この方向が理想だよね」と共有することができれば、より社会は成熟していくと思います。この記事を見てイラッとする人もいるんだろうけど、それは語りの型の多様化ということでお許しいただければ。
PROFILE 富永京子さん
1986年生まれ。日本学術振興会特別研究員などを経て、現在、立命館大学産業社会学部准教授。社会学的視角から、人々の生活における政治的側面、社会運動・政治活動の文化的側面を捉える。著書として『みんなの「わがまま」入門』(左右社)、『社会運動のサブカルチャー化』(せりか書房)、『社会運動と若者』(ナカニシヤ出版)。
取材・文/夏野久万 写真/河内彩