二度の災禍を乗り越えた活字たちを「おみく字」として売り出す取り組みが話題となった、大阪の印刷所「山添」。幕末から明治にかけて普及した「活版印刷」を後世に残すべく、他にもさまざまな仕掛け作りに力を注いでいます。
簡単かつ大量に仕上がるオフセット印刷の勢いに押され、衰退の一途を辿った活版印刷。2代目社長の野村いずみさんもかつては「時代遅れで恥ずかしい」と感じていたといいます。ところが近年、活版印刷のデザイン的価値が見直され、国内外で再び脚光を浴びています。
活版印刷ならではの味わいやそれを活用した新たな表現について、野村さんに聞きました。
「活版って分からないように印刷して!」時代遅れだった活版印刷
活版印刷とは「活字」と呼ばれる鉛で作られた文字を一つずつ組み合わせ、インクをつけて紙に転写する印刷手法のこと。日本では16世紀末に東洋・西洋それぞれから活版印刷技術が伝わったとされ、幕末から明治にかけて本格的に広まったともいわれています。
山添創業者の野村さんの父・常夫さん(故人)も、手刷りの活版印刷機一台で印刷業を起こし、名刺や封筒、伝票などの印刷を手掛けてきました。しかし1990年代、簡単かつ大量に仕上がるオフセット印刷の台頭により、活版印刷は時代から取り残されていきます。大学を卒業した野村さんが山添に入社したのも、そんな頃でした。
「今でこそ活版が人気になっていますけれど、当時は人気なんてまったくありませんでした。父に名刺を印刷してもらう時なんて『活版って分からないように印刷して』ってお願いしていましたし...。周りはオフセット印刷でこれまでにないデザインの名刺を持っていたので、活版印刷は『時代遅れ』だと感じていました」
活版独特の「凹凸」は失敗だった?意外な角度から人気に
パソコン上で多様なデザインを施せるオフセット印刷に対し、フォントや配置が限られている活版印刷は自由度が低いと感じたといいます。ところが2007年ごろ、活版印刷は思わぬ転機を迎えることに。アメリカやドイツなど、海外のデザイナーを中心に、活版印刷ならではの凹凸感あるデザイン性が再注目され始めたのです。しかし、野村さんいわく、魅力と捉えられた「凹凸」はかつては失敗の証だったそうです。
「活字は柔らかいのですぐに摩耗してしまうんです。今流行りの凹凸感を出す位、印刷圧をかけると1枚目と100枚目で文字の太さが変わって売り物にならない上に、活字がすぐに消耗してしまう。昔はいかに圧をかけずにインクだけを写すかが、職人さんの腕の見せ所だったそうです。失敗だと思われてきた『凹み』に価値が見出され、その風合いがよいと言われ始めた頃から、活版印刷への風向きが変わってきたように思います」
意外な角度から再び光が当てられ、山添にも活版印刷を使った製作依頼が舞い込むように。活字だけでなく、データを元に樹脂や金属で作成した「凸版」を使うことで、デザインやフォントの自由度が増し、さまざまな表現ができるようになったといいます。
そうして2010年、活版印刷の名刺がオンラインで注文できる国内初のサービス「活版印刷ドットコム」をスタートさせ、今や活版印刷の名刺は同社の看板商品となっています。
また、2018年には活版印刷を体験できる店舗「THE LETTER PRESS」をオープン。活版印刷の伝承拠点としての役割を果たすとともに、活版を生かしたメッセージカードやカレンダーを販売するなど、新たな活版印刷の可能性を模索しています。
「他の印刷方法だと紙に情報が載っているだけですが、活版印刷で作られたものには温かみや手触りを感じられる。活版を知らない方でも思わず触りたくなる風合いが魅力ですね。さまざまな印刷物を手掛ける中で、納品したものを見て喜んでもらえたり感動してもらえたりするのは活版印刷ならではです」
コロナ禍を逆手に新たなアイテムも 野村さんが見据える活版印刷の行く末
2度の災禍を経て生まれた「おみく字」に続き、またしても逆境を糸口に作られた商品があります。コロナ禍でリモートワークが拡大し、看板商品である名刺の注文が激減。文字を並べる「情報伝達手段」とは違う、新たな活版印刷の使い道はないか。考えた結果、生まれたのは活版印刷を利用した紙の額縁でした。
額縁には凹凸でボタニカル柄や幾何学模様をあしらい、インテリアに溶け込みやすいデザインに。外部のデザイン会社と共同製作した額縁は「Relieful(レリーフル)」と名付けられ、大手文具用品店にも並んでいます。
「印刷物としてだけでなく、アートだったりインテリアだったり...。活版印刷の新たな使い道をこれからも考え続けていきたい。若い人に活版印刷を知ってもらうきっかけにもなるのかなと思います」
単なる伝統文化にとどまらせず、活版印刷に次々と新たな風を吹き込む野村さん。コロナ禍で非接触が求められる今、活版の優しい手触りがとても温かく感じられる気がします。
取材・文・撮影/荘司結有