「食べないで死ぬか、食べて死ぬか」──。東日本大震災の被災地では、アレルギーの子どもをもつママからこんな悲痛な声が寄せられました。食物アレルギーのために避難所で配られた食べ物を口にできなかったり、保湿ができずにかゆみが増したり。環境の変化やストレスによって、症状が悪化するケースも決して少なくありません。

 

震災当時、そんなアレルギー患者たちの支援活動に尽力した人たちがいました。その中心人物が、「いわてアレルギーの会」の代表を務める山内美枝さん。4人の子どもをもつママです。

いてもたってもいられず…手探りから始まったアレルギー支援

── 東日本大震災では、アレルギー疾患をもつ方たちの支援に尽力されたそうですね。当時ご自身は27歳の妊婦で、しかも幼いお子さんを3人も抱えていたと知り、驚きました。

 

山内さん:

ちょうど4人目の子がおなかにいたので、夫と手分けして子どもたちの世話に追われていました。私の住む岩手県盛岡市では津波の影響はなかったものの、停電が3日ほど続き、周囲は混乱状態。余震の恐れからスーパーの中には入れず、カゴに山積みされた缶詰やカップラーメンが店の外で売られ、長い行列ができていました。

 

わが家は3人の子どものうち、2人に食物アレルギーがあり、口にできるものが限られていて。店員さんに事情を話して一緒に中に入ってもらい、食べられそうな食品を探して購入していました。 

 

── 震災発生の直後から、支援活動に取り組まれています。きっかけは何だったのでしょうか?

 

山内さん:

そもそも2009年に、盛岡アレルギーっ子サークル「ミルク」という子育てサークルを発足し、アレルギーの啓蒙活動や情報交換をしていました。とはいえ、“アレルギーっ子のママ同士でおしゃべりしましょう”と、わりとゆるやかな感じで取り組んでいて。人数も8人程度の団体だったので、災害時の支援活動を掲げていたわけでもありませんでした。

 

ところが、震災直後にテレビに映った沿岸部の被害状況を見て心が強く揺さぶられ、いても立ってもいられなくなりました。そこで全国のアレルギーの子をもつ母親の患者会に連絡し、被災者支援を求めたんです。

 

そんなとき、特定非営利活動法人の日本アトピー協会さんから「被災地にアレルギー対応ミルクを届けてくれる方を探している」との連絡があり、二つ返事で引き受けました。

 「ニーズがない」わけないのに…!声を上げる人がいない現実

── そんな経緯があったのですね。その後、どうやって活動を進めていったのですか?

 

山内さん:

企業や個人からたくさんの食物アレルギー対応食品を無償提供していただきました。ただ、いただいた支援物資を届けるには、まずは県に申し出て、許可が下りたら、窓口になっている集積所に物資を持ち込み、そこから各市町村に運ばれる…という手順になっていました。

 

ところが数日経っても県から返事がこない。しびれを切らして問い合わせると、「アレルギー対応ミルクのニーズは上がっていません」と言われてしまったんです。

岩手の支援物資の集積所
岩手県内のある支援物資一時集荷施設の様子

── アレルギー疾患をもつ人は年々増加しているにもかかわらず、“ニーズがない”わけがないと思うのですが。

 

山内さん:

「実態を把握するだけの余裕がない」との回答でした。その後、何度も要望を伝え、物資を持ち込むことはできたのですが、今度は、そこから市町村へといっこうに行き渡らない。“一体なぜ?”と集積所を訪れてみたら、持ち込んだアレルギー対応の支援物資が、他の支援物資の山に埋もれていました。

 

結局、家族やサークルのメンバー、ボランティアさんの協力を得ながら自分たちで直接支援物資を届けることに。ところが、思わぬ壁にぶつかります。

 

それは、岩手の人たちの「県民性」でした。困難な状況でも自分たちの力でどうにかしようと我慢する人が多く、譲り合う気持ちが強いんですね。自分から支援を申し出る方がいなくて、もどかしい思いをしました。

「声なき声」に耳を傾ける行動を徹底して

── 控えめな県民性がハードルになっていたとは…。

 

山内さん:

そこで、声を上げやすいように、名刺サイズのSOSカードを作成し、栄養士や保健師、ボランティアさんに携帯してもらい、必要な方にすぐに届くように工夫しました。

 

避難所にもポスターを貼って呼びかけ、手探りで進めていった感じでしたね。物資を着実に届けるために、「アレルギーの方いませんか~?」と大声で呼びかけながら、できるだけ多くのアレルギー患者さんの元に届けられるように心がけました。

いわてアレルギーの会が作成したSOSカード
  いわてアレルギーの会で作成した「食物アレルギーのサインプレートセット」

── 声を上げてもらうために、試行錯誤されたのですね。トラブルなどはなかったですか?

 

山内さん:

トラブルとまではいきませんが、なかには差別的な雰囲気が漂う場面もあったと聞きます。思うように支援物資が行き届かないなか、アレルギー患者の子どもだけにお菓子の段ボールを渡すと、「なぜあの子だけ特別扱いなの?」という目で見られてしまったり。

 

そうしたことを防ぐために、途中からはアレルギー対応と大きく書いた紙を貼るなど、できるだけ配慮しました。

 

活動は11月頃まで続けました。約250か所の避難所にポスターを貼って、沿岸の各地域6か所に支援物資を置き、約70名を支援させていただくことができました。

 

 

食物アレルギーをもつ人にとって、アレルギーがときに命を脅かすという周囲の理解や、安心して口にできる食品が手に入ることがどれほど救いになったことでしょう。災害国に住む私たちには、さまざまな立場の人々への配慮が何より必要だと感じました。

 

PROFILE 山内美枝さん

岩手県盛岡市出身。いわてアレルギーの会代表。食物アレルギーに関する幅広い情報発信や啓もう活動などを通じ、自助・公助の大切さを伝えている。プライベートでは、21歳の長女を筆頭に、長男(中3)、次女(中1)、次男(小4)の4人の子どもをもつ39歳のワーキングマザー。

取材・文/西尾英子 画像提供/いわてアレルギーの会