ドナーの女性から寄付された母乳を殺菌処理し、ドナーミルクとして提供する母乳バンクの存在をご存知ですか?東京都中央区のピジョン株式会社内に設置された「日本橋 母乳バンク」は、ドナーミルクの提供を無償で行っています。主に1500g未満で生まれた200人以上の赤ちゃんが年間で利用しているという国内唯一の母乳バンクの設立者で、昭和大学医学部の水野克己教授に話を聞きました。
手作業で行われるドナーミルクの殺菌処理
「日本橋 母乳バンク」には、全国各地のドナー登録をしている母親から冷凍された母乳が届きます。配送費は協会が負担しているそうです。
「受け取った母乳は容器を消毒した後、冷蔵室に移して一晩かけて解凍します。その後、培養検査を行なったうえで、62.5度で30分間、低温殺菌処理を行います。それが終わってから、再び培養検査をしたものをドナーミルクとして冷凍保存しています。ひとつひとつの作業を、目視で確認しながら行っています」
水野教授によると、ドナーミルクは全国の提携病院のNICUに提供しているそう。
「基本的にはNICUに入院している1500g未満で生まれた極低出生体重児と言われる赤ちゃんが利用します。心臓の病気や腸の病気がある子は、正期産のお子さんであっても使っている子もいます。お母さんから直接希望をいただくのではなく、提携している病院の医師の判断で、オーダーがある場合に提供しています」
小さく生まれた赤ちゃんの体の機能を強くする
水野教授はドナーミルクを使うことのメリットをこう話します。
「世界的には、腸の一部が壊死(えし)してしまう、壊死性腸炎を予防するためにドナーミルクが使われてきました。色々な実験のデータがありますが、点滴だけで数日間、栄養を入れている小さな赤ちゃんは、腸を使っていないので、そこからいきなり粉ミルクを与え始めると腸管のダメージが大きくなるということが分かっています。
赤ちゃんはお腹の中にいるときも口から羊水を飲んで自分の腸からも栄養を取っています。産後もそれに近い状態でいるのが自然なんですよね。腸を使わなければ動きが悪くなってしまうし、腸の粘膜も委縮してしまいます。それを防ぐために、できるだけ早くお腹にも栄養を入れてあげることが大切です」
水野教授によりますと、最近の研究では壊死性腸炎の予防に加えて、早期に腸から栄養を取り始めた赤ちゃんの肺や脳、目の機能を守れることもわかってきたといいます。
「小さい赤ちゃんにはなるべく負担が少ないものをあげるのがいいのですが、母乳は、産後なかなかすぐには出ないことも少なくありません。また、お母さんがガンなどの病気を抱えている場合など、ご自身の母乳をあげられないケースもあります。そのために、ドナーミルクが必要なのです」
ひと2人が立てる小さなスペースから始まった
水野教授は、2005年に短期留学し、そこでオーストラリアで初となる母乳バンクを作る準備段階の様子を見学したといいます。そこから数年後に、水野教授がみずから手掛けた母乳バンクが設立されることになります。
「元々母乳の成分の研究をしていたこともあって、ある企業の方が低温殺菌機を使ってみてほしいということで私のところに持ってきました。ありがたく使わせていただいて、当時勤務していた昭和大学江東豊洲病院内に、実験レベルでの母乳バンクができました。
そのほかに必要なクリーンベンチや冷凍庫などの機材は、厚生労働省からの研究費と医療系の会社からのご寄付でそろえられました」
正式な発足が急がれた、ある病院で起きた出来事
水野教授が母乳バンクの設立を目指した理由のひとつに、ある大学病院の先生から実験段階の母乳バンクを見学に来たいと連絡をもらった出来事があるといいます。
「その先生が勤務する病院では、NICUでもらい乳をしていたそうなんです。
日本では昔からもらい乳といって、他のお母さんの母乳を処理しないで与えるというのが普通に行われてきました。しかし、その病院ではもらい乳による細菌感染がNICUに広がったため、もらい乳が禁止されたとおっしゃっていました」
その病院では、その後、壊死性腸炎が原因で亡くなるNICUの赤ちゃんがこれまで数年に1人だったのが、1年で3、4人のペースで出てしまったといいます。
「その先生は、粉ミルクをあげたことが原因と考えらえれるとの見解をお持ちで、母乳バンクがないと困るんですと言っていました。健康な赤ちゃんは大丈夫ですが、粉ミルクは身体機能が未熟な赤ちゃんに与えるには負荷が大きく、それだけ命を落とす子がいるし、助かっても脳性麻痺や聴力障害などを引き起こす子どももいる。母乳バンクがあったら防げるかもしれない、これはなんとかしなくてはと思いました」
「ひとりでも多くの赤ちゃんを救いたい」
水野教授は、提携先のNICUに母乳を届けられるよう、2017年に母乳バンクを一般社団法人化しました。
知名度が上がり、利用施設が増えたこともあり、2020年9月に協賛しているピジョン株式会社内に「日本橋 母乳バンク」を設置することになります。
「少なくとも何かできる選択肢があるならばベストを尽くしたいと思います。その後のご家族の受け取り方も違いますし、助かる命を増やして、ひとりでも多くの赤ちゃんを救いたいというのが私のいちばんの思いです」
PROFILE 水野克己
1987年昭和大学医学部卒、昭和大学小児科に入局。1992年医学博士。葛飾赤十字産院小児科副部長、千葉県こども病院新生児科医長を経て、2014年〜昭和大学江東豊洲病院小児内科教授。2018年〜昭和大学医学部小児科学講座 主任教授。
取材・文/内橋明日香 写真提供/日本母乳バンク協会