「胸がない、髪がない、食欲もない。色々ない。」(Koko Isabel著『がん宣告を受けたあなたへ』より)。

 

Kokoさん(37)は、今から9年前、28歳のときにステージ2の乳がんと診断されました。すぐに手術に臨みましたが、わずか4か月で再発。右胸の全摘出、抗がん剤治療で髪の毛が抜け落ち、医師が驚くペースでの再発で、初めて「死」を意識したと言います。

Kokoさん
28歳で乳がんと診断されたKokoさん(13年撮影・本人提供)

けれど、Kokoさんがみずからの体験を綴った著書『がん宣告を受けたあなたへ』にはこんなサブタイトルがつけられています。

 

〜前を向くための3つのルール〜

 

9人に1人が乳がんになると言われる時代。つらい闘病生活を乗り越えて、がんサバイバーとして生きるKokoさんが今、伝えたいこと、そして死を意識したからこそ見えた「3つのルール」とは──?2月4日のワールドキャンサーデー(世界対がんデー)を前にお話を聞きました。

突然のがん宣告 両親の前で「だめだった…」と泣き崩れた日

── 乳がんと診断された時、Kokoさんは28歳。診断に至るまでの経緯を教えてください。

 

Kokoさん:

大学卒業後に金融機関に就職し、忙しい毎日を送っていました。仕事でイギリスに行くことが決まっていたので、渡英に向けて準備を進めている時期でした。

 

お風呂に入っていたときに、胸のあたりにできたニキビが気になって触っていたら、しこりに気づいたんです。もうすぐ日本を離れるし「安心するために検査しておこうかな」と、クリニックで検診を受けました。

 

── その検診で乳がんと診断されたんですね。

 

Kokoさん:

はい。それまでにかかった病気と言えばインフルエンザくらい。安心するための検査で、まさかがんを宣告されるなんて考えてもいませんでした。「悪性です」と告げられても、一体なんのことだか分からなくて…。

 

「悪性って『がん』ということですか?」と聞き返したら、お医者さまが深刻そうな顔で頷いて…。

  

── そのときの気持ちを覚えていますか?

 

Kokoさん:

「あ、私ロンドン行けないんだ」って、まず真っ先にそう思いました。そのあとは、頭が真っ白になって、誰にどう報告したらいいかも分からなくて…。

 

感情が整理できないまま上司に電話をしました。「わたし、乳がんになっちゃいました」って、話した途端、涙がポロポロ出てきて。

 

上司は「状況はわかった。日本で治療に専念できるようにするから心配するな」と言ってくれて。

 

上司の迅速な対応のおかげで、私は休職しながら治療に臨めることになりました。

 

── ご両親にはどのように報告されましたか?

 

Kokoさん:

母親には「定期検診を受けてくる」と事前に話していました。実家に帰ると母親が台所に立っていて「そういえば、検診の結果どうだった?」と聞いてきたんです。

 

「…ダメだった。」「わたし、乳がんだった」って、泣きながら話しました。 

 

母親はひどく動揺して、2人の妹も慌てていたのを覚えています。父はとても寡黙な人で、黙って私の話を聞いていました。

 

翌朝、仕事に行く前に父がひと言こう言ってくれたんです。

 

「お金のことはいっさい心配しなくていいから、治療に専念しなさい」って。

 

娘が突然がんになって「何ができるんだろう?」と、父なりに一晩一生懸命考えてくれたんだと思います。たったひと言でしたが、とても心強く感じました。

 

── その後、治療はどのように進められましたか?

 

Kokoさん:

最初に検査をしたのは個人の乳腺クリニックだったので、聖マリアンナ医科大学病院を紹介してもらいました。がん研有明病院でもセカンドオピ二オンを取りました。病院3か所で「悪性です」と言われ、「がん」を受け入れざるを得ませんでした。

 

がんと診断された2か月後の2013年6月に、右胸を一部切除する手術を受けました。当時、28歳と若かったので、卵子凍結のオプションも案内してもらい、抗がん剤治療を受ける前に、卵子凍結のオペを4クール受けました。

 

当時は目まぐるしい状況についていくだけで精一杯、「今我慢すれば、元の生活に戻れる」ということが唯一のモチベーションでした。

4か月で再発 右胸を全摘した自分は「欠陥品」に見えた

── その後、がんの再発がわかったのはいつ頃ですか?

 

Kokoさん:

卵子凍結を終えて、10月末から抗がん剤治療に入る予定だったのですが、右胸に再びしこりがあることに気づいたんです。

 

手術からわずか4か月の再発でした。

 

── 再発がわかったときはどんなお気持ちでしたか。

 

Kokoさん:

4か月で再発というのはとても珍しいことで…主治医が慌てていたことをよく覚えています。「もう全摘しかないと思う。1日も早く手術させて欲しい」と。

 

「セカンドオピニオンをとってもいいけれど、その時間も惜しい」という主治医の様子を見て、初めて「あ、私やばいかもしれない」と思いました。私、死ぬのかなって。 

Kokoさん
がん闘病中の13年に撮影した1枚(本人提供)

最初は怖くて家族にも打ち明けることができなくて…。その日はすべてを打ち明けていた親友が、私を迎えにきてくれたのを覚えています。

 

── 右胸の全摘出手術はすぐに納得できましたか?

 

Kokoさん:

いえ、「できれば残したい」と、セカンドオピニオンも取りにいきました。でも、若年性のがんで進行も早く、4か月で再発しているので…。最終的に受け入れざるを得ませんでした。

 

右胸の全摘手術を受けたのは10月です。当初のがん発覚から半年後のことでした。

 

手術の後はお風呂に入るのが嫌で嫌で…。お風呂場に鏡があるのですが、その鏡に映る右胸のない自分の姿が「欠陥品」のように見えたんです。胸を失うって、やはり女性としてものすごくショックでした。

 

母親がそんな私の様子を気遣って「鏡に布をかけようか?」と言ってくれたこともありました。私は「そんなことしなくていいよ」と答えたけれど、慣れるまではつらかったですね。

 

再建手術を受けたのは、手術翌年の夏です。もちろん前の胸とは全然違うし、手術の傷もあるし、ナチュラルではないけれど、膨らみは戻ってきた。温泉に入って、隠せばわからないくらい。再建は、自尊心の支えになりました。

Kokoさんと妹
Kokoさんが闘病中に妹たちと撮影した1枚(本人提供)

胸も、髪も、食欲もない  どん底まで落ちて気づいたこと

── 全摘手術の後に、抗がん剤治療も始まりましたね。

 

Kokoさん:

はい。抗がん剤治療は8ラウンド受けました。抗がん剤の点滴をしたあと、1週目は気持ち悪くて立ち上がることもできない、2週目には少し持ち直して、3週目には気分がよくなる、ということを8回繰り返しました。

 

抗がん剤で髪が抜け、気持ちが悪くて食事が取れず体重が落ち、浮腫、便秘、口内炎、貧血、倦怠感など、ひと通りの副作用を経験しました。

 

苦しみの中にいるときは、どうして?なんで?と考えてばかりいました。

Kokoさん
(本人提供)

── 著書では「どん底」と表現されていますね。

 

Kokoさん:

そうですね。まったく先が見えませんでした。

 

── …苦しい状況の中で、なにか「光」を見出すきっかけはあったのですか?

 

Kokoさん:

今も明確に覚えているんですけれど、シャワーを浴びているときに、ふと思ったんです。「もしかしたら、もうがんは治らないかもしれない」って。

 

「あと1年しか生きられないとしたら、私はどんな風に生きたいんだろう?」と考えました。

 

「がんだから不幸せで、我慢するのが当たり前で、『どうして私が?』『なんで私だけ?』と思いながら死ぬの?」って。

 

自分にそう問いかけたとき、そんな生き方は絶対に嫌だと思いました。シャワーを浴びながら、嫌すぎて泣けてきて。

 

「短い時間でも、限られた命を幸せに生きたい。人生を楽しみたい。ならば『今』幸せになろう。」

 

あの日、お風呂場で起きた私の気持ちの変化は鮮烈で、今もはっきりと覚えています。どん底まで落ちたからこそ見えた光、「ひらめき」のようなものでした。

Kokoさんの著書
「どん底」から抜け出した日のことはKokoさんの著書「がん宣告を受けたあなたへ」にも記されている(本人提供) 

 

── その日から、どんな変化がありましたか?

 

Kokoさん:

抗がん剤治療に「耐える」毎日ではなく、気分の良い3週目を「いかに楽しむか」と視点を切り替えるところからスタートしました。

 

胸もない、髪もない、食欲もない、けれど「時間」がありました。

 

気分の良い時を見計らって、新しいダンスを習い、健康に関する資格をとり、親友とのんびりお散歩をして、母親と水入らずの時間をたくさん過ごしました。母を1人占めできたのは、妹が生まれた3歳以来のことでした。

 

そして、行きたかった所へ足を運び、新しい街を探索しました。たくさん旅をしました。

 

主治医には黙ってウィッグをかぶってクラブで遊んだ日もあります(笑)。そのときだけは、周りに気をつかわれない、普通の女の子になれたんです。

 

── 状況は変わらずとも「視点」を変えるだけで、人生の見方が変わるのですね。

 

Kokoさん:

本当にその通りで。当時は選べないことも多かったけれど、ひとつだけ確実に選べるものがあって、それは「私の視点」だと気づいたんです。

 

いい状況でも、悪い状況でも、それが「いい」か「悪い」かを決めるのは私自身。いい状況になるのを待つのではなく、「つらい治療中の『今』、人生を目一杯楽しもう!」と決めたことが、私の生活に大きな変化をもたらしました。

 

── その考えが「前を向く3つのルール」に繋がるんですね。改めて教えてください。

 

Kokoさん:

3つのルールは、苦しい状況の中で私が必死に編み出した「思考の訓練」みたいなものでしたが、繰り返すうちに定着していきました。

 

1つ目は、悪い状況をポジティブに転換すること。

2つ目は、あるものを活かすこと。

3つ目は、ちゃんと周りを見て、恵まれていることに気づくこと、でした。

カッコいい「ハゲ写真」は 今も私の人生の羅針盤

── 3つのルールを決めて、どんなことに挑戦されましたか?

 

Kokoさん:

抗がん剤で髪の毛が抜けるときって、均等に抜けるわけじゃないので、一時とてもみじめな状況になるんです。「ならばいっそのことハゲになろう!」と思い立って、親友にバリカンで髪を剃ってもらいました。ただ、当時のハゲの写真はどれもパジャマでつらそうなものばかりだったんです。

 

「せっかくならカッコよくてキレイなハゲ写真を残しておきたいな」って、妹たちにふと漏らしたことがあって。

 

そしたら妹たちが知り合いなどにかけあって、スタジオやメイクさんまで手配してくれて…。どんなイメージで撮りたいか、どんな小道具を使うかなど要望も細かく聞いてもらいました。

 

妹たちも巻き込んでのハゲ撮影は、本当に素晴らしい思い出です。

Kokoさんと妹たち
Kokoさんのために妹たちが全てを手配してくれた写真撮影(本人提供)

── 著書の表紙に使われている写真ですね。凛とした美しさに、惹きつけられました。

 

Kokoさん:

「つらい状況を、ポジティブに転換する」そんな私の強い意思が収められた1枚だから…。

 

自分でも「いちばん輝いている写真だな」って思うんです。

Kokoさん

この写真は今でも私の部屋に飾ってあって、挫けそうな時や、大切なことを見失いそうになった時に見返すようにしています。私にとって人生の羅針盤のような、リマインダーのような1枚です。

闘病乗り越え 私は今「夢の夢」の中を生きている

── 3つ目のルールは「ちゃんと周りを見る」でしたが、こうしてお話を聞いていると、妹さんをはじめとするご家族、親友、上司など、周囲の方々の手厚いサポートも闘病生活を支えたんだな、と感じます。

 

Kokoさん:

その通りだと思います。つらくて倒れたくても倒れられない!っていうくらい、周囲の人に支えてもらって、感謝してもしきれません。

 

中学からの親友は、私の治療の過程すべてにつき添ってくれました。

 

抗がん剤中は、毎回電車に乗って家まで会いに来てくれて。気分が悪い時はそっと見守り、少し気分が良くなると「これ食べてみる?」とか「お散歩行こうか」と誘ってくれて。3週目には一緒に楽しめるよう考えてくれました。そんな私の「波」に寄り添ってくれて…彼女と一緒に過ごした時間は、神様から与えられたような、本当に美しい時間でした。

 

そして家族も、ひとつ治療を乗り越えるたびに、ケーキや小さなプレゼントなどでお祝いをしてくれました。「よくがんばったね、おつかれさま」って。ささやかなことだけど、その「お祝い」に、どれだけ力をもらったか…。

Kokoさんと母親
乳がんの診断から5年の節目を祝うKokoさんと母親(本人提供)

抗がん剤の副作用のリストってめちゃくちゃ長いんですけど、私の場合、周囲の人のおかげで「いい副作用」のリストも負けないくらい長くなりました。

 

── 「いい副作用」という言葉、素敵ですね。

 

Kokoさん:

うん…本当に大きな「いい副作用」でした。

 

苦しいときに、何も言わずともみんなが全力で支えてくれました。生きていく上でいちばん大切なことを、周囲の人たちが愛情をもって示してくれて…。

Kokoさん
(本人提供)

今でもよく思うんです。

 

「人生において、これ以上の経験があるだろうか?」って。

 

治療はつらかったし、失ったものもたくさんあるけれど、それ以上に得たものが多かったです。

 

── 闘病を乗り越えた今は、どのような生活を送っていらっしゃいますか?

 

Kokoさん:

内服薬による治療は続いていますが、今は身体が薬に慣れ、副作用は滅多にありません。最後の手術から8年経過し、ひとつの基準となる5年のマークもお陰様で無事通過できました。毎年の検査でも、今のところ異常なしです。

Kokoさん
(本人提供)

── お仕事はどうされていますか?

 

Kokoさん:

幸いなことに、私はもとの職場に復帰することができ、今は会社に留学の機会をもらって、ニューヨークのフォーダム法科大学院で企業コンプライアンスを学んでいます。

 

もちろん楽しいことばかりじゃなく、勉強は大変だし、周囲の強い人たちに圧倒されるし、ホームシックにもなるし…。

 

でも8年前「胸もない、髪もない、食欲もない、何もない」と言って暗闇の中にいた私からすると、今の私は「夢の夢」の中を生きてるなって思うんです。

旅行中のKokoさん

あのとき、周囲の人に支えられて、自分自身が闘ったから、今この場所に辿り着けました。

 

これからも「本質」を見失わず、前を向いて生きていきたい。そう思っています。

 

 

「いい状況になるのを待つのではなく、『今』幸せになる」

 

Kokoさんが辿り着いた人生のルールは、同じ「がん」という境遇でなくても、明日を見通せないコロナ禍を生きる私たちに寄り添い「そっと背中を押してくれる言葉だ」と感じながら、お話を伺いました。

 

「月並みかもしれないけれど、大切なものは家族と健康。それ以上のものはない」と真っ直ぐな眼差しで答えてくれた、Kokoさん。がんが「教えてくれた」ことは、Kokoさんの生きる姿勢そのものとなり、その凛とした美しさが印象に残るインタビューになりました。  

 

※本記事はKokoさんの体験をもとに記載しています。症状には個人差があります。 

 

Kokoさん
PROFILE Koko  

慶應大卒業後、大手金融機関に就職。28歳で乳がんの宣告を受け、現在も内服薬による治療を継続中。20年5月に「がん宣告を受けたあなたへ〜前を向くための3つのルール〜」を出版。Instagram(@kokoisabel_)でも体験記などを綴っている。

取材・文/谷岡碧 写真提供/Koko